AI時代に訪れる、ヤンキー文化復権の兆し。

最近またブログを書く人が増えてきた気がしています。

その原因は、生成系AIが出てきたことが大きいと思う。

「えっ、逆じゃない?」と思うかもしれないのですが、「文章を書く」という領域が、AIに間違いなく喰われる領域だからこそ、逆に人間が書くべき範囲というのが極度に限定されて、人間にしか書けない文章に挑戦するひとが増えてきているのだと思います。

そして、毎日このVoicyを聴いてくださっている方々もお気づきだと思うのですが、実際、僕自身もAIが出てきてくれたおかげで、このVoicyの元になっているブログの文章の書き方が、少しずつ変化してきました。

特に、4月からはブログの外部公開を思い切って辞めてみたことが、その大きな要因となった気がしています。

AIも書けてしまうような当たり障りのない正論を、もうわざわざもう自分自身が書く必要がなくなったこと、それが、まさかこんなにも自らの執筆意欲に対して多大なる恩恵をもたらしてくれるなんて思ってもみなかったです。

「的(まと)」がハッキリと絞られたということだと思います。

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逆にこれまでは、あまりにもその的の範囲が大きすぎた。

言い換えると、意識を配る必要の範囲がドンドン広がる一方だったんですよね。細分化していく一方だったと、言ってみてもいいのかもしれません。

そのために、インターネット状など広く公開された場所で文章を書こうとなると、様々な予防線を張るしかなくなったのが、過去10年間ぐらいの流れでした。

そうなると、単純に疲れるし、書きたい意欲も削がれるのですよね。

本筋にたどり着くまでの道のりが、あまりにも長すぎるというような。ここ数年のVoicyを筆頭にした「音声シフト」はまさにそこにあるように思います。

でも今は、良くも悪くも、クローズドのコミュニティの時代に入り、前提条件のような話は全てAIが担ってくれて人間側はいきなり核心から入ることができてしまいます。

これは、本当に嬉しい流れです。

何か書きたいことがあるわけではなく「枠」を埋めるために書いていたような職業ライターのひとにとっては、完全に食いっぱぐれる時代に突入するわけですが、

逆に、書きたいことや伝えたいメッセージが明確に存在し、その前提条件の共有が面倒くさくて、あまり書くことに気乗りしなかったというタイプのひとにとっては、本当に嬉しい誤算だと思います。

だからこそ、書くのなら、今だと思います。

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しかし一方で、もちろんこれは良いことだけではないかと思います。

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Voicyにて毎日配信している「鳥井弘文の旅と読書とweb3」のテキスト版になります。 https://voicy.jp/channel…

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