なぜ、東京のタクシーの運転手にはチップを払ってはいけないのか?

以前どこかで聞いて、ものすごく印象に残っている話があります。

どなたかは忘れたけれど、ドンドン率先して贈与をして、常にペイ・フォワードを意識していているような経営者の方が「東京の流しのタクシーの運転手には、メーターに表示された金額以上は絶対に払わない」と語られていました。

なぜなら、流しのタクシー運転手にはもう一生会わないからだ、と。

それは穴の空いたバケツにお金を投げ入れているようなもので、生き金にはならない、と。

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もちろん、スピリチュアルな話や、仏教的な縁起のロジックでいけば巡り巡って自分に戻ってくる可能性はなきにしもあらずです。

それは「まさに情けは人の為ならず」の世界観。

ただ、そこまでの因果や縁起をとらえることは、ここまでグローバル社会が浸透してしまった都市の世界では、正直かなり実感しにくいですよね。

昔はもっと、狭い世間や共同体だったから、この言葉はありがたがれていたはずであって。大都市圏で同じように通用するかどうかは、かなり怪しかったりするわけです。

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一方で、僕の出身地の北海道の函館市ぐらいの小さなローカルの街になってくると、タクシー運転手さんでも、そうやって色を付けて支払っても意外と成立したりもするんですよね。

なぜなら函館ぐらいだと、好意にしているタクシーの運転手さんみたいなひとがいたりもするし、その関係性のなかで地元経済がグルグル回っていたりもするから。

そうすると、ちょっと多めにお返ししても何の問題もない。

むしろ「お釣りはいりません」ぐらいの贈与の関係というか、お互いに関係性を断ち切ってしまわないような「健全な負債感」の関係性のほうが、今度は大事になってきたりもする。

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じゃあ、東京と函館は一体何が違うのか。

「贈与」や「信頼」というのがちゃんとコミュニティの中で「循環」していると実感できるかどうか、なんですよね。

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