見守り欲の功罪、そのダークサイドとは?
近年、ブラック労働やスパルタ教育など、その負の側面がSNS上で明るみとなり、その極地にあるような「他者をあるがままに見守ること」という考え方が、少しずつ広く一般的になってきました。
実際、僕も過去に何度もこのブログの中でも「見守ることの重要性」については語ってきました。
この静かに見守ろうとする態度を、ときに「貢献感」と呼ぶようなこともあるかと思います。
じゃあ、この一般的に語られる「見守る」という態度は、無条件に良いことなのでしょうか。
もちろん、そんなことはないかと思います。むしろ最近は、ここにも明確に大きな負の側面やその落とし穴もあるなあと思います。
今日はそんなお話を少しだけ、このブログの中でも語ってみようかなあと。
ーーー
具体的には、見守るといった瞬間に相手を庇護したいという「庇護欲」のようなものが発動してしまうひとたちが一定数存在してて、その欲求みたいなものに危うさがあるなあと。
一般的には、アラフォーぐらいの男女から明確にこの庇護欲が発動している人が多いなと思うのですが、目の前のセンスある若者がいた場合、まるでその母親か父親にでもなったかのように、やたらめったらと褒めまくるわけです。
そうやって「若くて才能のあるひとを、ちゃんと褒めて見守っている私」として、自らの自尊心を保とうとするひとが生まれ始めてくるわけですよね。
若者に嫉妬して批判ばかりしている奴らと、俺は(もしくは私は)根本的に違うんだ!というふうに。
ここから先は
2,579字
「鳥井弘文の旅と読書とweb3」テキスト版
¥1,000 / 月
Voicyにて毎日配信している「鳥井弘文の旅と読書とweb3」のテキスト版になります。 https://voicy.jp/channel…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?