「メタ認知」への誤解。

今の自分を俯瞰的に眺めること。それが、メタ認知だとされている昨今です。

たぶん、その感覚を促進させたのはスマホのカメラ機能や、SNSにおいて自己のタイムラインを遡るというような社会構造の変化や、その仕組みだと思います。

実社会の中に、そのような自己を「他者」のように眺めることができるような場面が、一般人において、至るところに増えてきたこと。それが「メタ認知」という言葉が、一気に普及ししたきっかけだったと感じています。

実際に、「メタ認知とは?」でインターネット上で検索してみると「自分の認知活動を客観的にとらえる、つまり、自らの認知(考える・感じる・記憶する・判断するなど)を認知すること」と、上位表示されてきます。

そこにセットで表示されている図式やイラストというのは必ず、ひとつ上の俯瞰した視点から自分自身が、ひとつ下のレイヤーにいる自分自身を眺めているような絵が同時に表示されてきます。

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この点、たしかに、このような状況も「メタ認知」の形態のひとつなんだと思います。

でも、僕はこの「メタ認知」の一般的な解釈と、それを促進しようとしている社会の潮流にこそ、現代の様々な諸問題が起きている要因があるのかなあと思っています。

言い換えると、人々がこのような一般的な解釈の「メタ認知」をすればするほど、より現在の社会問題は顕在化していくのだろうなあと。

なぜ、そのように考えるのか。

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