運と数える概念:なぜ "luck" は数えられないのか?
今回の記事では、”luck” が「数えられない名詞」として扱われる理由について解説していきます。
このトピックを深く理解するには、英語と日本語における「数え方の違い」についての知識が必要となります。もしまだ読んでいなければ、まずそちらをチェックしてみてください。
「数えられる」とは「単位として機能する」ということ。しかし "luck" には、その基準がない
英語教育における専門家、マーク・ピーターセン氏の著書『日本人の英語』には、"luck" という名詞に関して次のような一節があります。
ここで「このスローガン」として取り上げられているのが下記のフレーズで、かつてエビスビールの宣伝に使用されていました。
"YEBISU, THE LEGENDARY CHARACTER, BRINGS YOU A GOOD LUCK"
英語を母国語とするマーク・ピーターセン氏は、このフレーズにある "a good luck" において、"luck" を数えてしまう日本人の感覚に戸惑いを表しています。一方、日本語を母国語とする私たちにとって、「運」とは数えても数えなくてもいい気がするもので、「もう少しの運があれば」というように量的に示すこともあれば、「幾つかの運が重なって」というふうに数的に用いても違和感を感じません。
この「数える感覚の違い」については、「英語にとって数えるとは」で詳しく触れていますが、英語で「数えられる」と判断するためには、"one luck"とカウントする基準の存在が重要になってきます。
では、"luck" にそんな基準があるでしょうか?
例えば、買い物中に参加した抽選会で、海外旅行が当選したとしましょう。一見すると、これは「幸運」な出来事に思えますが、ここで鍵となるのが「この幸運には、実際どれほどの "luck" が関わったのか?」という問いです。
この状況をどう解釈するかは人によって異なるでしょう。ある人は、抽選会が開かれていたことに「運」を感じるかもしれませんし、別の人は当選にした事実に「運」を見つけるかもしれない。それに対して、他の人はすべてを単なる偶然と捉え「運」の存在を否定するかもしれません。
このように、"luck" の解釈は個人によって大きく異なっており、明確な基準というものが存在していません。そして、基準がないなら数えることはできない。これが、"luck" が「数えられない名詞」とされる理由です。
結論
"luck" というのは時として、確かにあるように感じますが、実際には非常に曖昧で、主観的な概念といえます。人によっては「恵まれた天候」に「運」を見つけるかもしれませんし、別の人は「難関大学の合格」にそれを見つけるかもしれない。
けれど、こうした事柄というのは、どうしたって話し手の主観に基づいたものであり「一体、いくつの "luck" が重なったのか」、また「"luck" は本当に存在したのか」、こうしたことを客観的に数える方法はありません。
そして、適切にカウントする方法がないのであれば、"lucks" という形には根拠がないことになり、その結果「数えられない名詞」として分類されるのです。