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VRが圧倒的に普及するには「憧れ」が必要!?

いつから「VR元年」と言われてきているだろうか。
「次はVRがくる!」「メタバースの未来が来る!!」と少しずつ名前が変わったり変わったりしながら一時的に盛り上がるのだが、圧倒的に普及しているとは現状言い難いと感じている。
(圧倒的に普及する必要はない、とかそういう話は置いておいて)

私個人はこれまで何度もVRについての講演も聞いてきた。
そこではVRを専門としている方々が様々な課題をあげられていて、確かにそうだなあと思っていた。
「ハード(VRセット)が重く、長時間つけるのが苦痛」「VR酔いが起きる」「まず箱も開けていない」などなど。(箱開けてないってどういうことよ…とは思いつつも…)

そんな中、「あー、だから欲しいと思わないのか」と個人的に勝手に思ったことがある。

それは、日常生活をしていて「VRを使っている人を見て憧れる経験」が少ないことだ。

人間の購買意欲のひとつとして、周りに使っている人がいて、「かっこいい!」「楽しそう!」「おしゃれ!」と思う感情がある。

他者が持っていて、それに憧れを持ち、「自分も欲しい」と思うこと。

これが現在のVRには圧倒的に少ない気がする。

VRの特性上、それは難しいだろうと思うかもしれない。

基本的に室内で利用するし、モノによってはキャリブレーションが必要なものもある。
利用しているときは、外から見ると変な動きをしているように見えることも多いし、そもそも自分しかVRの世界が見えていないので、基本一人で楽しむものだ。

だからこそ、「VRを使うとこんなに楽しい時間が過ごせる」ということが伝わりづらく、「VR?ああ、流行ってるよねー。メタバースの世界で過ごせるんでしょ。まあ僕はいいかな」と購買意欲が上がるほど憧れないのだ。

ゲームセンターでの一時的な体験や、エンタテインメントパークでのアトラクションのひとつとしての利用など、現状のVRのマーケティングとしてはそういうところがターゲットとなるのも必然である。

しかしながら、あくまで限定的な娯楽として利用されるのみであり、爆発的な普及に至るまでではない。


僕は小さい頃、ゲームボーイを食事の席に持ってきていた友達を見て、とても欲しいと感じたことを鮮明に覚えている。

学校にiPhoneを持ってきた同級生がとても羨ましいと感じていたことを覚えている。

VRも、例えば「電車内でVRセットをつける人が出てきた」「学校に持ってきて教室の輪の中心にいるやつが出てきた」「使用している人を見かけるようになった」ということが起きるようになったら、一気に普及するだろう。

「日常生活に溶け込んだVRの誕生」

これが出たとき、「真・VR元年」が到来すると私は思う。


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