「礼儀作法には金がかからない、しかも礼をつくすだけで何でも手に入る」
これは、かつてイギリス上流社会の教養ある夫人として有名でもあり著者のモンタギュー夫人の有名な言葉です。
しかも160年以上前のこと!
人と人とがお互いに繋がり、有意義な関係性を築くためにも、
礼儀作法、マナー、エチケットは重要な役割を担うのは、時が流れ
社会情勢がどう変ろうとも、真髄は変わらないものですね。
確かに礼儀作法って、何よりも安上がりだし、手間もかかりませんよね。何かに強いられるわけでもなく、犠牲にするものは何もないです。
一度身につけてしまえば、一生の財産となるもの!と言っても過言では無いです。心から親切に振舞うだけで周りに良い印象を与え、喜びをも与えられ信用と信頼ににもつながるもです。
とはいえ、少しぐらいの礼儀作法、所作を振る舞ったとしても、人生がガラリと変わるものではないのですが、
だからと言って、今の時代、全く価値が無いなんて思っているのは大間違いです。
日々のちょっとした心がけしだいで、それを繰り返すうちに、こちらの気持ちが相手の心に少しずつ積み重なり、しまいには、考えもつかない大きな効果をうむかもしれません。
その一方で、不作法は人柄の良さまでも、一瞬にしてダメなレッテルを貼ってしまいかねないものです。
マナーは行動を引き立たせるためにまとうものです。親切な言葉をかけたり、思いやりを行動で表したりするには、それにふさわしい方法があるんです。相手に不快な思いをさせないマナーを守れば、こちらの気持ちもいっそう強く相手に伝わるということです。
逆にいくら親切心があっても、気乗りのしない態度や恩着せがましいそぶりを見せると、相手はそれを行為とは受けとらないですよね。
どんなに美徳や能力、スキルを持っていたとしても、
それをあからさまに露骨に示せば世間からは非難され、
平気で人の自尊心を傷つけ、しかも、不愉快な話を得意顔で笑うなどされたら、誰だって好きになれるわけがないです。
もちろん、マナーの良し悪しなど気にかけず、むしろその奥に隠された
本当のその方の人柄に目を向けようとすること、
「人は外見じゃない、人柄で勝負だ〜!」というかたでしょうか?
もちろん、そうです。そうかもしれませんが・・・
多くの人はそれほど寛大ではないんです。
外面にあらわれる振る舞いを見て、
一瞬でその人を判断し
無意識レベルで好き嫌い、合う合わないを決める、というのが世間一般の常識なんです。
昔から言われるように、不作法が昂じると独善に陥りやすい、それは強情と傲慢であると言われるように、
ご本人が気がつかず、知らず知らずに相手への不快な態度をしてしまうことに、相手は去っていってしまう!つまりチャンスを逃すことになるわけです。
実際に心の礼節を知る人は、本当に他人の意見にもよく耳を傾けます。
人によって考え方が違うという事実を、認めていますし
お相手がどう考えているか、よく耳を傾けています。
立派な礼節は、地位や身分にかかわらず誠実で思いやり深い心から生まれると言われています。
例えば、力仕事をしているからと言って、必ずしもその振る舞いが荒っぽく粗野なものになるわけでもないですよね。
反対に、上品な職業についていても全く礼儀なく平気で周りを傷つける人達もいます。
「いつの時代でも人格者は広く豊かな心の持ち主である。」と言われるように、社会で成功されている方々を見ると、まさにこの人格を備えている方ですね。
では、心の人格者を計るものさしとはいったい何でしょうか?
真の人格者は自尊心に厚く、何よりも自らの品性に重きを置いています。
しかも、他人に見える品性より、
自分にしか見えない品性を大切にし磨いています。
それは心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいるからですし、人格者は自分を尊ぶのと同じくらい、他の人々をも同じように接する、
礼節や寛容、思いやりの気持ちが伝わってくるものです。
「礼儀作法」とは、まさにお金がかかるモノではありません。
「何でも手にはいる」というのは何とも申し上げられませんが、
それでもご縁、チャンスの神様というものがもたらしくれることは確かです。
ぜひ、品性を磨き一生ものの財産を手に入れて欲しいものです。