人生を粋に生きるための道とは?
日本には「柔道」、「剣道」、「柔道」、「茶道」、「華道」… と〇〇道というものがたくさん存在します。
そもそも、「道」とはどういう意味なのでしょうか?
中国からつわった「道(どう)」という漢字は、編の「しんにょう」の部分は【行く・進む】という意味があり、つくりの「首」という部分は【目的に主導する】という意味を持っていて、境地に達するというような意味が込められています。
日本古来の「道(みち)」は、路に通じる、通行するための通りという意味だけではなく、道理や情理という抽象的な意味でも使われていたといわれています。
「かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道」と万葉歌人の山上憶良は詠んでいます。これは、直接的な通行するための道という意味ではなく、道理という意味合いで「道」を使っています。
また平安時代ごろから、学問や芸能を究めることを「道」と使うようになったようで、剣術や柔術が、剣道や柔道となったのは、テクニック=術だけを身に着けるだけではなく、情理という人間らしい感情とものごとのあるべき筋道が伴っていなければならないという意味が込められているのだと思います。 そして、その「情理」という部分は、マニュアル化できない、その人の人間性が表れるものなのではないかと思います。
【粋】な人生って?
粋に生きよう!
【粋】という表現は、江戸時代に芸者さんの身なりや立ち居振る舞いが洗練されていて、艶があり、色気とさっぱりとした心持が同居している様子を「粋だね」と言ったのが始まりだとされています。
この言葉も決して「粋になるためには」という誰にでも通用するマニュアルを作るのが難しいファジーで感覚的な表現ですよね。
【粋】というのは江戸の庶民の間で、当時の人たちがかっこいいと考えていた美意識や生き様、価値観で、艶や色気は決して英語のセクシーではなく、内面から醸し出される暗示性の高いものだといえます。つまり、絶世の美女でも立ち居振る舞いや心意気が伴わなければ【粋】とは呼ばなかったわけです。
【粋】の反対語は【野暮】。この「良い」か「悪い」や「プラス」か「マイナス」かという現代の価値判断だけではなく、【粋】と【野暮】という数値化できない価値判断ができる感性を持ち合わせていることが、日本人の文化を豊かにしていたのではないかと思います。
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