手続きが恋しい

ステイホームが続き毎日映画観ているけど、配信で映画観るとどうも「微妙だな」って思った映画はすぐ観賞やめてしまう。しかし不思議なことに、ディスクで観るとなんか止められない。物理的にディスクを手に持つという行為がその作品を「大事なもの」として脳に刷り込むのかな。小窓でタイムが出るのも構成の勉強としては良い。というわけでTSUTAYAの宅配レンタルサービス"TSUTAYA DISCAS最強説"が自分の中で急浮上している。




自分はNetflix、Hulu、Amazon Prime、U-NEXTに入ってるから店舗のTSUTAYAも最近行かなくなっていたけど、いま研究している宮崎駿作品と、あらためてハマった北野武作品、石井竜也作品はちょうど配信にない、しかも店舗もちょっと三密だからあまり足が向かない、という条件が揃って最近ついにTSUTAYA DISCASを始めたら、まんまと「なんかいいぞこれ」と思っている次第。

TSUTAYA DISCASのサイトで観る映画を決めて、その都度作品ごとに決済して(借り放題プランの方は奥さんが観たいドラマシリーズのDVDの方に使ってるので、自分が観たい映画はその都度単品レンタルなのだ)、「家に届くまで待つ」「封筒開ける」「ディスクをプレイヤーに入れる」っていう身体的な手続きが、気分の助走として機能してるんだろう。

「映画館に行く」「発券する」「トイレ行っとく」「劇場に入る」「スマホ切る」も同じで。儀式。都度課金ってのもたぶん大事。

よく言われる「ゲーム買ってもらった帰りの車で我慢できず説明書読んじゃう」とか、「CD買って帰ってビニール剥がすのドキドキする」とかと同じで。結局「大切なものは手で触りたい」世代なんだろうな。「手に入れる」って言うし。「手続き」って言うし。身体性。楽しみを享受するにあたって身体の手続きが消えてないのは、まさにいま我々から奪われてしまっている、LIVEと映画館なんだよなー、と思う。

映画のパンフとか旅行のお土産も本来無形の"体験記憶"や"感動"を「手触りのあるなにか」として物理的に「手に入れたい」っていう欲求に対して機能してるんだろうな。うまいもん食ったときに写真に撮っておきたいってのも一緒。婚姻届を持った写真撮りたくなるのも一緒。反面、デジタル所有物に課金するのも、スマホが「手に収まる」宝箱だから、とも言えるかもしれない。

結局、「過去の感動カタログ」と「未来の感動への期待」のハザマで人は生きてるわけだ。なにかを手に入れるときのややめんどくさい手続きは、「未来の感動への期待」を盛り上げる。

緊急で必要ないろんなことに対しては手続きをすっ飛ばしてすぐ結果が届くのが望ましいけど、なにかをしたり楽しむのには、気分の助走としての「手続き」がある程度は欲しい。コロナによる外出自粛で身体的移動行為の自由が制限されてしまったことで恋しいのは、対面コミュニケーションとか大スクリーンでの映画とかそういう「楽しみの中身自体」もそうだけど、「気分の助走としての手続き」だよな、と思う。

あー、また映画が観たい。

ネットでチケット買って、電車に乗って映画館に行って、発券して、一服して、トイレ行って、コーラ買って、劇場に入って、スマホ切って、見飽きた映画泥棒を観て、映画が観たい。

手続きが恋しい。


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洞内 広樹 (映像ディレクター/映画監督)
また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。