【建築】美しい田園に佇むブラザー・クラウス野外礼拝堂(ピーター・ズントー)
スイスの建築家 ピーター・ズントー。
私のお気に入りの建築家である。なにしろノルウェーの僻地まで彼の建築を見にいくほどだ。自分で言うのも何だが、この熱意は日本でベスト10には入るだろう。
そもそもズントーのファンは日本にも多い。ズントーの建築を見ると、私はいつも"禁欲的"という言葉が思い浮かぶ。解釈は色々あるだろうが、この禁欲的というイメージが日本人の琴線に触れるのではないかと思っている。
ところで建築巡礼者の中には、ズントー建築を体験することで涙してしまう人もいるようだ。私も巡礼者ではあるが、涙したことはない。と言うか、そもそも建築を見て泣いたことがないのだ。多分これからもないだろう。
そんな感性乏しい私が、ズントー作品の中で最も素晴らしいと思う建築がブラザー・クラウス野外礼拝堂だ。
ケルンから近いこともあり、日本人のみならず、世界中の建築関係者が訪れている。ある秋の晴れた日、私もその礼拝堂を訪れることにした。
最寄のEuskirchen駅からタクシーに乗ること15分、手前の駐車場で降りる。
ここから礼拝堂まではさらに15分程歩くのだか、美しい田園風景の中を歩くのはとても気持ちが良い。
やがてその建築が少しずつ姿を現してきた。
以前「良いスタジアムとは?」でも書いたが、私は建築においてもアプローチは重要な要素だと考えている。つまり目的地(建築)がどのように見えてくるか?ということである。
駅の改札を出て直ぐとか車で目の前に乗り付けることは便利かもしれないが、遠くに見える建築が徐々に近づいてくるというアプローチの方が、その建築への期待感も高まるというものである。
その点でもこの建築は100点満点だ!
この礼拝堂は地元で農業を営むScheidtweiler家が「豊かな満ち足りた生活」への感謝の気持ちを込めて、2007年に地元の人々のために建てたものである。
祭られているブラザー・クラウス(Bruder Klaus/本名:Niklaus von Flüe)は15世紀のスイスの守護聖人であり、カソリック農村運動の守護聖人でもある。
それにしてもこの風景はどうだろう!
ズントーの作品を見るたびに言っているが、また言おう。
空・大地・道・建物それぞれの色とプロポーションが完璧にマッチしている。まるでずっと昔からここにあるかのように...。
この建築を理解するためには重要なことだが、この礼拝堂はブラザー・クラウスが隠者として暮らしたスイスの「庵(小屋)」をモチーフとしている。
ただしあくまでモチーフであり、再現ではない。スイスに実際の庵と礼拝堂が残っているが、写真を見る限り、建物のボリューム以外は似ていない。それこそがズントーの設計力である。
中世の庵は木造であったろうが、今回は地元の伝統的なコンクリートを使っている。大きな砂利が混じった荒々しい素材が、この建築独特の表情をつくっている。
このコンクリートは、熟練した職人とボランティアが1回に50cmずつ何回もかけて、12mの高さまで打ち重ねたものだ。
層の境界が真っ直ぐでないところが良い味を出している!
ドアの上に掲げられた十字架はズントーらしいミニマルなデザイン。
三角形のドアから中を覗き込むと洞窟ようにも見える。洞窟は修行や瞑想の場を連想させる。
内部は黒く薄暗い。当時、庵の中では生活のために火を使い、それによって黒く煤けていたであろうことからこのような仕上げとしたそうだ。
これもまた特殊な工法を用いている。
まず内側のコンクリートの型枠としてトウヒの丸太をテント状に組む。そしてコンクリートが固まると、時間をかけてトウヒを燻しながら焼いて乾燥させ、取り外しす。それにより焦げて黒くなった丸太の跡が残る。
そのためコンクリートの中なのに、木の小屋にいるようにも感じるのだ。
もちろん当時電気はない。なのでここにも照明はない。ドアからの光、ロウソクの灯、そして天井から落ちる光だけである。
天井には屋根もガラスもないので、雨が降れば、開口と同じ涙のような形の水たまりができる。涙こそ流さなかったが、私がこの建築で最も感動したポイントでもあった。(私の代わりに建築自身が涙してくれているのだ!)
壁のPコンの穴は丸いガラスで塞ぐことによって、神秘的な空間に更なるアクセントを付加している。
祭壇もない。彫刻家Hans Josephsohnによるブラザー・クラウスのブロンズ像と小さな燭台、そして祈りのためのベンチがあるだけだ。
この礼拝堂はカソリックやキリスト教徒でなくても、誰もが訪れることができる。しかし本来ここは瞑想、祈りの場である。たとえズントー巡礼が目的でも、建築を堪能した後は静かにこの空間に身を置いて、静寂のひとときを感じたいものだ。
帰り際、居合わせた地元の方と少し会話したのだが、この礼拝堂のことをとても誇らしげに話してくれたことが印象的であった。私自身はそのことを、とても羨ましくも思ったのである。
帰り道は余韻に浸りたいので、近くのSatzvey駅まで歩くことにした。爽やかな秋晴れの中、季節を感じながらの散歩は楽しいものだ。木々も色づき始めていた。
フラッと吸い込まれそうになる美しい森もあった。ドイツにはこのように遊歩道が整備された森があちこちにあり、つい歩きたくなってしまう。
Satzvey駅までは約1時間。店やタクシーという文明の利器は何もない。
でもこんな駅でボーっとしながら電車を待つのも趣があって良い。
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