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【建築】コンセプトが明快なエストニア国立博物館(ドレル・ゴットメ・田根)

たまにあるんだよね、そういう時が。そう、あれはCasa BRUTUSの【世界のベストミュージアム 2017年】を読んでいる時だった。エストニア国立博物館の写真を見て、「行ってみようかな」と思ったのだ。

ということでその半年後、博物館のあるエストニアのタルトゥまでやって来た。

タルトゥはエストニア第二の都市である。と言っても人口9万人程の小さな街だ。首都タリンからは電車またはバスで2時間。私は電車で行ったが、駅が街の中心部から少し離れていることを考えると、バスの方が良いかもしれない。

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中心部から博物館までは距離にして約2.5km。バスかタクシーで行けるが、歩くことにした。散歩にはちょうど良い。

エストニア博物館は、ロシアやドイツに翻弄されながら歩んできたエストニアの歴史や文化を紹介する博物館である。ソ連から独立したのは1991年。
建物は、新しい歴史を歩み始めたエストニアのアイデンティティの象徴として、そのソ連軍の滑走路であった場所の端に建てられている。

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全長は355m。奥に向かって低くなっている。

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というか反対側の旧滑走路から見ると、街に向かって、さらには未来に向かって飛び立つようにも見える。

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この博物館はコンペだったそうだが、設計者のDGT.(Dan Dorell、Lina Ghotmeh、田根剛)のテーマは「メモリー・フィールド」。占領されていたという負の遺産を未来につなげるというコンセプトが、そのまま明快にケンチクのデザインにも表れている。正にコンセプトの勝利だ。


特徴的なのは長い庇が伸びるエントランス。街側に向かって開かれている。

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ファサードはコンクリートの建物本体をガラスで覆っている。そのガラスにプリントされたデザインは、エストニア伝統の模様をモチーフとしている。

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長い建物は、途中、小さな池をまたぐ。(どうでもいい話であるが、これを”湖”と表現している記事もあるが、どう見ても”池”である)

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館内は手前がパブリックエリア、その奥が展示エリアになっており、パブリックエリアにはショップ、レストラン、イベントスペース、図書室などがある。

コチラはエントランスホール廻り。開館直後なので人は少ない。

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地下への階段室。照明も美しいデザイン。

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イベントスペース。
この後で民族舞踊のイベントが行われたのだが、どう見ても”近所のおばさん”という方々(実際そうだと思う)が踊っていて、この現代的なデザインの"国立"施設とのアンバランスを感じたが、そこがまた良かった。

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レストラン。高そうなので、ここでは食事していない。

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中から外は、こんな風に見える。

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ここから展示室となる。

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もちろん展示も見て、さらにレストランとは別にあるビュッフェで食事もしたのであるが、何故かそれらの写真が見つからない!
展示は伝統的な民芸品や衣装、占領時代の歴史やその後の独立を感じさせる品々が、映像やITを使って分かりやすく展示されていた。またビュッフェでは手頃な価格で美味しい食事が出来た(食べ過ぎた)ことを記しておく。


この建築はライトアップが美しいと聞いていた。ただし今回の訪問したのは5月。閉館時間が18:00であるのに対し、日の入りは21:00頃なので、一旦街に戻った。そして日没前の薄暗くなりかけた頃に再び歩いて来たのであるが、なんとライトアップされていない! 平日はライトアップしないのであろうか?

諦めて帰ろうとした時、ライトが点いた!

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美しい!

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時間は既に22:00。周辺には人の気配もなく、車も通らない。こんなキレイなのに、もったいない。みんな見に来ればいいのに...。


ちなみに街に戻ってのからの旧市街のライトアップも美しかった。

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余談であるが、タルトゥにはタルトゥ大学を中心とした旧市街地区があり、そこには歴史的な街並みが残っているが、それは一部のエリアである。

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その周辺にはどこにでもある近代的な建物が立ち並び、どこにでもあるショップや飲食店が入っている。そしてどこにでもあるフードコートで食事をしながら、「今やヨーロッパの都市はどこに行っても金太郎飴的だな。残念だなあ...」ということを、それ以上にどこにでもある日本の街並みに住む私は思ったのである。




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