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アダラジ階段井戸の美しさに圧倒される

インド西部やパキスタンには階段井戸と呼ばれる古い井戸がある。

インドに限らず河川が少なく乾燥しやすい地域では井戸は必須だが、階段井戸は生活用水としての機能ばかりではない。乾季に備えて、モンスーンの雨水を貯める目的もある。また深く掘られた井戸は地上に比べると少し涼しいので、地元の女性たちの"井戸端会議"の場として、あるいはキャラバンや旅人の休息所としても利用された。中には王族の避暑施設として使われたものもあり、華麗な装飾が施された井戸も多い。つまり階段井戸は社会的、文化的、宗教的な意味を持っていた。

階段井戸は、古くは3〜5世紀からつくられ始めたという説もあるが、多くは11〜16世紀にかけてのイスラム教徒による支配下で建設ラッシュを迎えた。近年は衛生的な問題もあり、ほとんどの井戸は実用的には機能していないが、現在でもインド各地に数百の階段井戸が残っている。


例えば首都デリーのアグラセン・キ・バオリ(Agrasen ki Baoli)は14世紀の建造で、長さ60m・幅15mという中々見応えのある井戸である。デリー中心部にも近く、インド映画のロケ地としても使われたことから、観光客のみならず地元市民の憩いの場にもなっている。



さて今回、どうしても訪れたかった階段井戸がある。それはアーメダバード郊外にあるアダラジ階段井戸 Adalaj Stepwell だ。世界遺産にこそ指定されていないものの、インドで最も美しい井戸という評判もある。

アーメダバードからは北へ20km。市内からはUberを利用した。
ちなみにインドの都市部ではUberを使った移動がとても便利だった。バスに比べると高いがタクシーに比べれば安く、ぼったくられることもない。この時も2時間の貸切で690ルピー(約1,200円)だった。


車で移動すること30分。町外れの広場で降りる。
何もないように見えるが、ここに井戸がある。


井戸は南北軸に沿って掘られている。長さ約70m、深さ約30m。


南、西、東方向に設けられた階段から入る。どの階段を使っても、地下1階に相当する踊り場に降りることになる。1箇所でも事足りそうだが、階段をわざわざ3箇所つくることには宗教とか建築様式の意味があるのかもしれない。


踊り場の四隅には小部屋があった。

精巧な彫刻に驚いてしまう。たかが井戸(の入口)に何故ここまでするのだろう?


そして井戸に向かって降りて行くのだが、この時点でもう圧巻
一点透視マニアにはたまらないこの構図!


構造はシンプルで、掘り下げたところに柱と梁を渡して、各階には踊り場のような小さな部屋がいくつもつくられている。


まるで古代寺院か宮殿のような装飾。これが井戸なのか?! 


この階段井戸、当初はヒンドゥー教王朝によって建設が始まったが、後に争いが起こりイスラム教王朝がこの地を支配した。しかし井戸の建設はそのまま継続され、1499年に完成した。そのためイスラム教とヒンドゥー教が融合したようなデザインとなっている。


踊り場のこの彫刻は、ヒンドゥー教やジャイナ教などのインドの宗教において願いを叶える「生命の木(Kalp Vriksha)」を表現している。


見上げれば幾何学的な開口。自然光を取り入れるだけでなく、通気口としての役割も果たしている。


地下5階の水のある層まで降りてきた。今は乾季なので水は少ないが、雨季には水位が上がり、最下層は水没するそうだ。


井戸の形状は円形から四角形、さらには美しい八角形へと変化する。八角形とするのは、深い竪穴を強固な構造とするためでもある。


この井戸には美しくも悲しい伝説がある。

15世紀の伝説によれば、ヒンドゥー教の支配者であるヴァゲーラ王朝のラナ・ヴィール・シンがこの小さな国を治めていた。この土地はいつも水不足に悩まされ、雨に大きく左右されていた。そこでラナ王は井戸の建設に取りかかった。
ところが井戸が完成する前に、隣国のイスラム教徒のマフムード・ベガダの襲撃を受けた。ラナ王は戦死し、マフムード・ベガダは領土を占領した。

ラナ王の未亡人はラニ・ループバ王妃と呼ばれる美しい女性だったが、サティー(未亡人が亡き夫の後を追い殉死すること)を行い、あの世で夫と一緒になろうとしていた。しかしベガダは彼女が自らの命を絶つことを阻止し、結婚を申し出た。
彼女は建設中の階段井戸を完成させることを条件に結婚の申し入れに応じた。王妃の美しさに心酔していたイスラム教の王はこの提案に同意し、記録的な速さで井戸を築き上げた。

井戸が完成するとベグダは王妃に改めて結婚を申し込んだ。しかし亡き夫がつくり始めた井戸を完成させるという目的を果たした王妃は、サティーを決意した。彼女は祈りを込めて階段井戸を一周して井戸に飛び込んだ。
こうして階段井戸建設は悲劇で幕を閉じた。

別の物語では、王妃は身を投げる前に聖人たちにこの井戸で沐浴するよう依頼し、それにより水が浄化され、彼女を罪から解放したと示唆している。



悲しい話はもう一つある。
井戸の建設に携わった石工たちにマフムード・ベガダは「同じような井戸をもう一つ作ってくれないか?」と頼んだ。しかし彼らがその申し出を了承すると、ベガダは死刑を宣告した。ベガダはこの階段井戸の建築的な素晴らしさに感動し、レプリカを作ることを望まなかったのだ。
井戸の側にある棺らしきものは、その石工たちのお墓だと伝えられている。



それにしても素晴らしい建築、いや、階段井戸だった。
正直、インドの街中はお世辞にも美しいとは言えない。建築的にも調和した街並みとも言えず、それほど古い建物でなくても汚れていたり壊れていたりする。(まあそれがインドの魅力でもあるのだが…)
そんな中で数百年前の建造物が美しいだけでなく、キチンと残されていることにも感動したのであった。

インドよ! やれば出来るじゃん!



ところでアーメダバードには、旧市街の近くにも階段井戸が残っている。


こちらのダダ・ハリ階段井戸(Dada Harir Stepwell)はアダラジ階段井戸と同じくマフムード・ベガダによる。ただし建設を指揮したのは王ではなく、ハーレムを取り仕切っていたダイ・ハリル(乳母? 王妃?) で、1499年に完成した。


深さ5階建てではあるが、横幅はアダラジより狭い。


構造もほぼ同じ。踊り場にはサンスクリット語の法典やヒンドゥー教の影響を受けたものとイスラム教の装飾とが混在している。



規模は少し小さいものの、この井戸も充分に美しかった。もしアダラジ階段井戸より先にコチラを見学していたら、やはりそれなりに感動したであろう。


傍にはダイ・ハリルが同時期に建てたとされるモスクがある。もちろん今も使われているモスク。彼女もここ葬られている。
イスラム教徒ではないが、私も靴を脱いで参拝させてもらった。


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