工場は仕舞う、されどタイルは蘇る
谷口吉郎の名建築、愛知県陶磁器美術館。
そこに掲げられた看板
「もっと伝えたい、愛知のやきもの」
その通り! 愛知は焼き物王国なのだ!
その起源は5世紀後期までさかのぼる。古墳時代から鎌倉時代にかけて、現在の名古屋市東部から豊田市を中心に猿投窯と呼ばれる古窯が広がっていた。やがてそれは北部では瀬戸焼として、南部では常滑焼として発展した。
常滑では、初期には大型の甕や壺が、江戸時代末期には土管(土樋)がつくられていた。耐久性に優れた品質の高い土管は常滑焼の主力製品となり、全国の排水設備で使われるようになった。
そして大正期に大きな転換期を迎える。フランク・ロイド・ライトの設計によるあの帝国ホテルのタイル、スクラッチタイル(スダレ煉瓦)やテラコッタ、クリンカータイルが常滑で製造されることになったのだ。
陶工、職工、工員らの努力により、常滑タイルは品質や生産性を高め、建築の世界にもその名を知らしめることになった。
ホテル完成後、タイルを作った帝国ホテル煉瓦製作所の設備と従業員は伊奈製陶が引き継ぎ、世界最大のタイルメーカー INAX(現 LIXIL)へとつながっていく。
建築用タイルの需要はその後も続く。特に戦前の近代建築には、外壁や内装の仕上げとして多くのタイルが使われた。それらの中には戦争を生き残り、今も丁寧に保存された建物もあれば、残念ながら取り壊されてしまったものもある。
現在の常滑の窯業は、大規模工場や安価な海外の製品に押されて衰退気味である。しかしかつての登窯や煙突が点在する街並みを散歩道として整備し、またギャラリーやカフェ、陶芸体験ができる教室などにリノベーションして、街の活性化を図っている。
その常滑の街で、一軒の工場が消えようとしている。
旧杉江製陶所(現 東窯工業)。1832年創業の老舗の製陶所である。
杉江製陶所も当初は甕を、明治に入ると土管を製造していた。
帝国ホテルが完成した1923年からは建材としてタイルも焼き始めている。そのタイルは帝国ホテルにこそ納品していないが、大山崎山荘(京都)や大丸心斎橋店(大阪)といった後に名建築として評価される建物にも納品された。
また1928年に開催された御大典奉祝名古屋博覧会では、杉江製陶所のタイルが銀牌を受賞している。それほど高い品質の製品を作っていたのだ。
やがて戦争が始まるとタイルは贅沢品とされて重い物品税が課されたため、タイルの製造は止めて、砥石を作り始めた。
砥石は最近まで作っていたが、先代の社長さんがお亡くなりになったこともあり、操業を停止した。そして会社も閉鎖し、工場も解体されることになった。
しかしそのことを残念に思った有志の方々が中心となって、解体前の工場や残されたタイルを見学できるイベントが企画されたので、参加させてもらうことにした。
以前は景気が良い時期もあったであろう広い工場内は、今では閑散とした集落のようでもある。建築ファンや廃墟マニアには堪らないかもしれないが、何とも言えない哀れさを感じてしまう。
多くの建物は数十年前に稼働を停止しており、今にも崩れ落ちそうだった。
それでも穴の空いた空の見える天井から差し込む光は美しかった。
大きな木造の工場も残っている。まるで昔の日本家屋のようだ。
煉瓦で作られた大きな窯もあった。だが、もう決して火が入ることはない。
これらを壊すことは本当に勿体無い。だが容易に保存できるわけでもない。誰が、どこで、どうやって保存し、その資金はどうするのか?
最近は近代建築の保存運動が盛んになっているが、部外者が「保存して!」というのは簡単だが、実用的で安全で少々の改修で事足りるならともかく、多くの場合は補修にも維持にも多額の費用がかかってしまい、現実には厳しい。
さて、再び見学に戻る。
作業員のタイムカード室。時が止まったままだった。
その隣に事務所がある。
昭和の、いや戦後間もない頃の雰囲気さえ漂う部屋だが、最後まで使われていた現役の部屋でもある。
そしてこの事務所には"驚くべきもの"が残されていた。
それは...
1920年代につくられたタイルがそのまま残る部屋。
そう、ここは事務所であり、会社のショールームでもあったのだ。タイムスリップしたかのように、今でもこんなに色鮮やなタイルが残っている。
床には釉薬が施されていない無釉タイルを使ったモザイクタイル。一方の腰壁には釉薬をかけて焼き上げた施釉タイルやスクラッチタイルが並ぶ。
特に焼き上げした時に釉薬が微妙に変化する窯変タイルは、艶のある色合いや質感がとても美しい。
無釉タイルは色落ちしないので、床材に向いている。手作業で手間がかかるが、このようなモザイクも可能。
100年近くも人の歩行や重い什器に耐えてきたのだ。お疲れ様でした!
他にも瓦礫や埃に埋まった屋根裏から、美しいタイルが次々と"発掘"されている。例えばこの窯変タイル。鮮やかな辰砂釉だ。
こちらは土中から掘り出された、人が踊っているようなデザインのタイル。どんな場所に使うつもりだったのだろう?
今回の見学会は、
「工場の解体は残念だが止むを得ない。しかしタイルだけでも残したい」
「"残らないのはさみしい"ではなく、"残すために何かやってみよう"」
ということから企画されたのだそうだ。
解体についても「通常の解体工事の中で運良く残ったタイルを保存する」のではなく、「タイルを保存するための解体をすること」を目指している。
そして見学会を機に発足された「杉江製陶所タイル見本室救出プロジェクト」は、救出したタイルを保存・展示することを目的として、現在も活動中である。
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ちなみに常滑にはINAXライブミュージアムがあり、タイルの歴史や常滑を含めた世界のタイルが紹介されている。またこれまでに解体されてしまった名建築に使われていたタイルがメモリアルとして展示されている。
これらはもちろん素晴らしい展示であるが、可能であれば今回救出されたタイルは、飾りだけではなく、実用的にも使われるといいなあ。
< 参照記事 >
・廃工場のタイルを救え!(大竹敏之)
・色鮮やかなモザイクタイルの旧ショールーム、惜しまれつつ取り壊しへ
(朝日新聞/2022年5月2日)
・見納め、タイルの見本室 常滑、昭和初期の「産業遺産」
(中日新聞/2022年4月26日)
◆ 追記(2022年6月3日)
後日、僅かな力にもなれないが、プロジェクトのお手伝いをさせて頂いた。
事務所は机も撤去され、タイル全体が姿を現した。
隣の研究室の床も、数十年の埃や汚れを落としてキレイにした。
特徴のあるタイルは拓本としても記録に残す。
作業の合間には工場跡を再び散策した。そこには光と影がつくり出す美しい世界が広がっていた。
珍しい八角形の煙突内部にも潜らせてもらったが、こちらも差し込む"光"がとても印象的だった。
◆ 追記(2022年8月13日)
今回の記事のPart 2でもある「タイルたちよ、蘇れ!」
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