【建築】何度訪れても美しい豊田市美術館(谷口吉生)
いつ訪れても何度訪れても、美しく、素晴らしく、圧倒される風景や建築がある。今回はそうした建築の一つ、豊田市美術館である。
地元が愛知県の私は、過去に何度もこの美術館を訪れている。しかしその訪問の度に、まるで初めて訪れたかのような新鮮さで「美しい!」と感じて、毎回写真に収めようとする自分がいる。
豊田市美術館の設計は谷口吉生氏。個人的意見であるが、現代建築の美術館をつくらせたら日本一、いや世界でもトップクラスの建築家である。
例えば丸亀市猪熊弦一郎現代美術館とか、
東京国立博物館 法隆寺宝物館とか、
ニューヨーク近代美術館(MoMA)とか。
2020年8月、私は企画展「久門 剛史 − らせんの練習」鑑賞のため、豊田市美術館を訪れた。お盆休み中だったが、ほとんど人はいなかった。
駐車場の方から近づくと、はじめに目に入るのがこの光景。石畳のアプローチが正面に向かって真っ直ぐにのびている。この時点で既に美しい。
冒頭で紹介したそれぞれの美術館には、正面に「門」のような大きなフレームがある。これは谷口さんの建築の特徴なのだが、豊田市美術館にも「門」がある。モスグリーンのスレートを使ったフレームだ。
このフレームが視覚的に水平と垂直を強調している。
実は私は「水平」がメチャ好きなのだ。水平が強調されているだけで「このケンチクは美しい!」と思ってしまう。
その風景の中、アクセントのように置かれた作品はリチャード・セラによる。鉄を使った巨大な作品で知られる彫刻家だ。
門型のフレームをくぐった先のエントランスコートには黒いスレートが敷き詰められている。いや、もう本当に隙のないビシッとした美しさ!
フレームはそのまま2階の彫刻テラスに続き、回廊となる。
スレートから一転して、建物は乳白色のガラスによる仕上げである。
これも谷口建築の特徴だが、入口は建物に比べて控えめで小さい。これは「ここでもう一度人間の身体感覚に戻って、これから美術作品に向き合うための準備をする」という意図があるのだそうだ。
エントランスロビー。
ロビーからチケットカウンターへの通路。
通路脇にあるベンチがまた良い!
展覧会にもよるが、この美術館では2〜3階が企画展、1階がコレクション展となるケースが多く、企画展から鑑賞する場合は順路として2階から巡る。
右の壁にはジョセフ・コスースの「分類学(応用) No.3」。古代ギリシャから21世紀までの哲学者や思想家の名前が書かれている。
縦の電光掲示板はジェニー・ホルツァーの「豊田市美術館のためのインスタレーション」。戦争、暴力、性などをテーマにしたメッセージが、英語と日本語で流されている。
外壁からはガラスを通して自然光が入っているが、よく見ると、右奥のエリアは影になっている。ここのガラス壁面は二重構造になっていて、その間に遮光用のシェードが組み込まれている。展示の演出上、一部または全面を暗くすることもできる。
展示室はホワイトキューブ(装飾のない白い壁)であるが、それぞれ特徴がある。
例えば展示室1は天窓から自然光の入る広い吹抜け空間。
展示室3は、壁面の半分がガラスになっており、柔らかく均質な光が入る。しかし当然こちらの壁面には、例えば絵画などを掛けて展示することは出来ない。展示室が作品を選んでしまうのだ。(そこは賛否両論あるだろう)
途中の通路からは、豊田市の中心部を見渡せる。
展示室4は小さめの窓のない部屋。しかし天井から控え目に光が入る。
企画展示室を観終えると、階段ホールに戻る。
1階は一般的なホワイトキューブの展示室。
一通り展示を観終えたら、2階から彫刻テラスに出てみよう。
ちなみに外へ出る2階のロビーであるが、写真だとわかりにくいが、室内と屋外の床の目地ラインがビシッと揃っている。これも気持ち良い!
庭園の設計はピーター・ウォーター。
彫刻テラスにはダニエル・ビュレンの「色の浮遊/3つの破裂した小屋」。鏡張りの小屋があり、内部が赤、黄、青の原色の色彩となっている。
彫刻テラスに隣接して、豊田市に寄贈された漆芸家・髙橋節郎の作品を展示する記念館がある。
池越しに見る美術館。この建築のハイライトだ。建築ファンに限らず、ほぼ全ての来場者がここから写真を撮る。もちろん私も来る度に毎回撮る。
こうして見ると、スレートの回廊は美術館と高橋節郎館をつなぐ役割もしていることが分かる。
建物前に池を配置することも谷口建築の特徴。
池があることによって建物と鑑賞者の間に距離ができ、その結果、建物全体を見渡すことができる。さらにこの建築においては、スレートの回廊と相まって、水平ライン(←私が好きなやつ)が強調されることにもなる。
一周して戻ってきた。
改めて見直せば、スレートのモスグリーンは植物の色、建物の乳白色は雲の色と重なっている。そう、実はこの建物は自然の色を使っていたのだ。だから人工的なのに、周りの風景にも馴染んでいる。
隣には「童子苑」と名付けられた数寄屋建築の茶室がある。
谷口吉生は同じく建築家である谷口吉郎を父に持つ。谷口吉郎は数寄屋建築を得意としていたが、谷口吉生にとっては、この茶室が初めての数寄屋の設計だったそうだ。私は茶室に詳しくないが、日本建築にしてはシャープな印象を受けた。
斜めの障子は今回の企画展・久門さんの作品。
谷口さんの建築、特にこの豊田市美術館はなぜ美しいのか?
理由の一つは、ビシッと筋が通った隙がない建築だからであろう。柱や梁という構造の要素もほとんど表には見せていない。
”隙のなさ”は時に鑑賞者に緊張感を強いるかもしれないが、それはきっと心地良いものであるはずだ。
もう一つは、建築家は建物を美しく見せると同時に、「建物はあくまで作品を引き立てる”器”にすぎない」と心掛けたことであろう。
ご覧の通り、この美術館には大小様々な展示室あり、自然光の入る展示室あり、展望通路あり、吹抜けありと変化に富んだ空間構成となっている。
逆に言えば、これはアーティストやキュレーターにとっては挑戦となる。ただ単に作品を並べればOKというものではない。
実際のところ、今回の久門さんの「らせんの練習」はどの作品も美しく、かつそれぞれの展示室の特徴を活かしたインスタレーションであった。久門さんも作品をどう観せるかということに、かなり試行錯誤されてのではないかと思う。
と、ここまで絶賛してきたが、そもそも美術館の評価とは何だろう?
本来それは間違いなくコレクションや企画によって評価されるべきである。しかし最近は、近代美術館や地方美術館を中心として、建物そのものが”作品”として扱われることも少なくない。これは日本に限った話ではない。
それが必ずしも悪いとは言えないが、建築ファンとして、あるいはにわかアートファンとしては悩ましい問題である。
ということで最後に今回の企画展である久門さんの作品を載せておく。(動きや音のある作品が多いので、本当は写真では伝わらないことが残念である)
せっかくなので、豊田市美術館が誇るコレクションも少しだけ。
グスタフ・クリムト 「オイゲニア・プリマフェージの肖像」
エゴン・シーレ 「カール・グリュンヴァルトの肖像」
奈良 美智 「Dream Time」