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【建築】聖地巡礼! チャンディーガル(ル・コルビュジエ)

「聖地」とは本来宗教における総本山、あるいは開祖にゆかりのある地を指しているが、趣味の世界でも「聖地」と呼ばれる場所はある。

建築ファンにとっても多くの聖地がある。スイス生まれのフランス人建築家ル・コルビュジエによるインドの都市チャンディーガルはその一つだろう。

建築業界で「チャンディーガル」といった場合、広義ではその都市を、狭義ではコルビュジエ設計によるキャピトル・コンプレックスを指している。
キャピトル・コンプレックスとは議会棟、行政事務棟、高等裁判所、および周辺のメモリアルから構成されている州の施設のことだ。
キャピトル・コンプレックスはユネスコ世界遺産にも登録されている。




2023年5月、インドを訪れた。その目的は友人に会うためとかタージ・マハル等の観光地を巡るためとか色々あったが、メインの目的はもちろん建築探訪、中でもコルビュジエ建築の"聖地"であるこのチャンディーガルを訪れることが最大の楽しみだった。


チャンディーガルは首都デリーから北へ約240kmの場所にある。
インドの、しかも一般的には有名とは言えないチャンディーガルを訪れるのは大変ではないか?と思うかもしないが、デリーからは列車で行ける。

しかもExecutive クラスであればエアコンが効いたゆったりシートで、軽食も付く。日本の特急列車に比べても安く、パーサーがいるので盗難のリスクも低い。


約3時間半の列車旅は快適だった。




チャンディーガルは、1947年のインド・パキスタン分離独立に伴い、インド帝国の都市であったパンジャーブ州ラホールがパキスタンに属することになるため、インド国内に新しい都市を整備する必要があったことに始まる。
都市計画および幾つかの建物はコルビュジエと、コルビュジエの従兄弟ピエール・ジャンヌレを中心とするチームによって行われた。

元は小さな寒村でしかなくほぼゼロからつくられたチャンディーガルでは、街を碁盤の目のように分割して整備した。それぞれのセクションには"住む"、"働く"、"学ぶ"、"レジャー"などの機能を持たせ、それをセクターと呼んだ。
当初は30のセクターで始まったが、人口100万に達した現在は、チャンディーガル市内ではセクター56まで拡張されている。


マンホールにもセクターが描かれている。



街の中心部に近いセクター17にあるホテルにチェックインすると、楽しみを抑えることが出来ず、荷物を置いて早々にキャピトル・コンプレックスのあるセクター1に向かった。
新しく作られた街だけあって道路は広く、歩道も車道から分離され、交通事情がカオスなインドでも安全に歩くことができた。


やがてキャピトル・コンプレックスのツアーの起点となるビジターセンター(この建物はコルビュジエ設計ではない)に辿り着いた。見学料は無料である。


受付を済ませてしばらく待つといよいよツアーが始まった。
ガイドさんに案内されながら公園のような小径を歩いていくと、

木々の向こうにカラフルな建物が見え隠れしている。高等裁判所だ。


ついに来たぞ! チャンディーガル!



高等裁判所 High Court

チャンディーガルはパンジャーブ州とハリヤーナー州の2つの州の州都を兼ねており、この建物はその両州の高等裁判所となっている。
建物本体を囲むコンクリートの枠が目を惹く。


ブリーズ・ソレイユ(日除け)のある窓と、

赤・緑・黄の色使いが印象的だ。



広場

高等裁判所の前は大きな広場となっている。広場を挟んだ向こうに見える建物が議会棟だ。



議会棟 Palace of Assembly

コチラもパンジャーブ州とハリヤーナー州の議会堂である。


議場は両州それぞれにある。
建物の上に何やら突き出ているが、右の双曲面の塔の下にはパンジャーブ州議場が、左のピラミッド型の塔の下にはハリヤーナー州議場がある。これらの塔はデザインだけでなく天窓の機能も果たしている。


曲線の屋根を支える板状の柱が力強い。


コルビュジエ建築のコンクリートは少し荒々しい仕上げが特徴的で、安藤忠雄さんのコンクリートとは対照的。どちらが良い悪いという話ではないが、インドではこの荒々しい仕上げの方が合っているように思う。


そしてコルビュジエ建築といえばモジュロール。そのモジュロールをモチーフとしたレリーフも柱の中に見つけた。


特別なセレモニーに使われるというドアはコルビュジエ自らデザインしている。

新しいインドとビジョンを表現しているとのことで、上は宇宙と地球、下は地球の自然や人間、動物、木々が描かれているそうだ。鮮やかな色彩はコルビュジエらしいが、上手いのか下手なのかよく分からない w



ところで同じくコルビュジエによるロンシャン礼拝堂。
屋根の造形とかちょっと似てない?

ドアも。


年代的にはロンシャンが1955年、議会棟が1962年の完成だが、計画されたのはほぼ同時期である。


閑話休題。ツアーに戻る。
ここからは広場に点在するメモリアルの紹介。



開かれた手 Open Hand Monument

チャンディーガルのシンボルであり、"与える手と受け取る手、平和と繁栄、そして人類の団結"を象徴している。


写真では分かりにくいが、高さは26mと大きい。しかも風を受けると回転するらしい。迫力あるだろうね。


周りはサンクンガーデンにような広場となっているが、イベントの時にでも使われるのだろうか?


このモニュメントは当初から構想されており、コルビュジエもインド政府も前向きだったにも関わらず、紆余曲折あり(主には資金不足のため)、完成したのはのコルビュジエの死後20年経った1985年だった。



影の塔 Tower of Shadows

実用的な機能はなく、実験的な建造物。北側に向かって開き、他の方角にはブリーズ・ソレイユを設けて、内部に直射日光が入らないように設計されている。


コルビュジエはキャピトル・コンプレックスの他の建物にも同じ工法を採用している。一年を通して強い陽射しが入るインドでは、ブリーズ・ソレイユは特に重要だろう。



幾何学の丘 Geometric Hill

広場の片隅にある人工の小さな丘。斜面はコンクリートで覆われ、その表面には蛇のような模様が描かれている。が、よく見ると、それは太陽の24時間の動き表していることが分かる。


何を伝えたいのか分からないが、コルビュジエらしい表現ではある。



殉教者の記念碑 Martyrs Monument

1947年のインド・パキスタン分離独立で命を落とした殉教者たちに捧げられている。記念碑は正方形のスロープの囲いから構成されている。


スロープの壁には、インドの国旗にも採用されている「アショーカ・チャクラ」と吉祥の印である「卍」が描かれていた。



以上で見学は終了。
あれ? 裁判所や議会棟の中には入れないの?

そうなのだ。今回は中に入れなかった。
内部を見学できるか否かは日によって明暗が分かれる。おそらくだが、平日かつ議会や裁判が行われていない時には見学できる。休日や裁判や議会がある日は外観のみの見学となる。今回私は2日間ツアーに参加したが、どちらも内部見学は出来なかった。
残念無念…。


しかも屋上やそこに至る動線がとてもコルビュジエらしいと評判の行政事務棟(Secretariat Building)に至っては、はるか遠くから拝んだだけである。

拡大しても見えるのはエアコンの室外機ばかり。悲しい…


まあ仮に見学出来たとしても内部は写真撮影NGだしね。(と言い聞かせる)



ということで、普通は"聖地"を訪れたら「感動した!」とか「最高だった!」という感想になると思うが、今回は「ついにチャンディーガルを訪れた」という達成感以外の感想はなかった。外観見学のみではとてもコルビュジエの建築を堪能したとは言えず、心にモヤモヤが残る聖地巡礼であった。
でもたまにはこんな建築探訪もあるさ。


そんな私を慰めるかのように、帰りは猿たちがお見送りしてくれた。




チャンディーガルにある他のコルビュジエ建築

満足度はこちらの方が良かったアーメダバードのコルビュジエ建築


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