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【建築】最低で最高な建築探訪だったファーンズワース邸(ミース・ファン・デル・ローエ)

世界三大◯◯。個人的にはあまり好きな表現ではないし、その選定には異論反論もあると思うが、それでもキャッチーだからよく使われている。
世界三大住宅。これまた難しいが、仮に近代建築の三大巨匠と呼ばれる建築家たちが設計した代表的な住宅と定義するのであれば、次が挙げられるだろう。

ル・コルビュジエによるサヴォア邸(1931年)


フランク・ロイド・ライトによる落水荘(1936年)


そしてミース・ファン・デル・ローエによるファーンズワース邸(1951年)。

自慢ではないけど、このうちサヴォア邸と落水荘は訪れたことがある。ということはファーンズワース邸を訪れることは、私にとっては避けて通ることが出来ない道のようなものだ。
2024年5月、私はアメリカ・シカゴ周辺の建築探訪に出かけたが、その最大の目的は実はファーンズワース邸を訪れることだった。


ミース・ファン・デル・ローエは、日本ではコルビュジエやライトに比べると少し知名度は低いかもしれない。


ミースはドイツ出身の建築家で、美術・建築学校として有名なバウハウスの校長も務めたが、ナチスの台頭により建築の職を追われ、アメリカに亡命した。
亡命後はシカゴのイリノイ工科大学の建築学科の主任教授を務めている。そのためキャンパスやシカゴにはミースの設計した建物がたくさんある。


その特徴は鉄とガラスを使い、装飾を最小限に抑え、洗練されたシンプルなデザインを実現していること。


ファーンズワース邸(Edith Farnsworth House)もその一つ。医師であるエディス・ファーンズワースがシカゴ西部に購入していた9エーカーの土地に、週末の別荘を建てるためにミースに依頼した住宅である。

設計にあたり、ファーンズワースが「どんな素材を使うのか?」と尋ねると、ミースは「全てが美しくプライバシーの問題もない場所で、外と内の間に不透明な壁を建てるのは残念なことです。だから鉄とガラスで建てるべきだと思います」と答えたと伝えられている。




ファーンズワース邸は、シカゴから西に約90kmのPlanoの街にある。
海外で車を運転できない私は、電車でシカゴから途中のオーロラ駅まで行くと、

そこから現地までの25kmはUberを利用した。


まずはビジターセンターで受付。
今回は室内まで見学可能なガイドツアーに参加した。


ファーンズワース邸の建物はビジターセンターから少し歩いた場所にある。

以前も書いたが、私は建築におけるアプローチはとても重要だと考えている。つまり目的地(建築)がどのように見えてくるか?ということである。
駅の改札を出て直ぐとか車で目の前に乗り付けることは便利かもしれないが、遠くに見える建築が徐々に近づいてくるというアプローチの方が、その建築への期待感も高まるというものだ。


それにしてもなんと美しい森、そしてなんと美しい日なのだろう?
こんな日にファーンズワース邸を訪れることが出来るとは私は幸せだ!


もうすぐあの建築と対面できる! ワクワクが抑えきれない!


やがてその姿が見えてきた。
だけど…

あれ?


なんじゃこりゃあ?! これはどういうことだ?
ファーンズワース邸ってこんな意匠だっけ?


ガイドさんによれば、アーティストとのコラボレーションとしてガラス面にアートシートを貼っているとのことだが、全く良いとは思わないのだけどなあ…。
とにかくショックだ!


まあいい。いや、全然良くないが、いつまでも気落ちしていてもしょうがない。ここは気を取り直して見学しよう。


この家の特徴、それは説明するまでもないだろう。
ミースが提言した「Less is more/少ないことはより豊かなことだ」という概念を体現した建築だ。


建物は8本の鉄骨により地面から持ち上げられている。持ち上げているのはデザインの観点もあるが、傍を流れる川が時々氾濫を起こすからでもある。


鉄骨はボルトで接合されているが、工業的に見えないようその穴を埋めて研磨し、白く塗装することで軽やかな印象を与えている。凝り過ぎ。


広いテラスも付いているが、

その部分の柱は床面から少し低くなっている。こうすることで反対側(室内側)から見た時に柱を意識させないという効果がある。


いよいよ室内へ。


床材はテラスも室内もトラバーチン。ミース建築ではよく使われている。
床のパネル割とドアのサッシ枠を一致させていないところが興味深い。(ドアは建物の中心ではない)


(アートシートは小さな孔が開いた透過性のシートだったので、室内ではそれほどシートの存在を感じずに見学できたことは不幸中の幸いだった)


室内は壁がない大きなワンルームになっており、

木製のクロゼットや設備コアにより、各部屋をゆるやかに分けている。


これは同じくミースによるイリノイ工科大学のクラウンホールと同様だ。学生の実習室として柱のない大空間をつくり、必要に応じて移動式のパーティションなどで区切り、用途の変化に対応できる柔軟性がある。


こちらはリビング。


寝室。


キッチンは縦長。カウンターに向かって調理しているとせっかくの庭が眺められないことが難点か 笑


ダイニング。


書斎。


トイレやシャワー室はちゃんと壁に囲まれている。


部屋のコンセントは床。


それら電気や水などの設備は建物下のコンクリートの柱で接続している。


椅子やテーブルは竣工時のオリジナルではない。ファーンズワースは家具はミースには依頼せず、自分の好みに合わせて自分で選んだ。当時の写真を見ると、ハンス・ウェグナーの椅子なども置かれていた。
現在はミースの家具が中心となっているので、デザイン的には統一感がある。


この建築の見所は何といっても眺望。四方がガラス壁なので、室内にいても自然の中にいるようだ。もちろん外からも室内が見えるが、周りも全てファーンズワース邸の敷地なので問題はない。

ただし気になるのは温熱環境、つまり暑さ・寒さ対策。
訪問した時期の初夏は快適な時期だったが、日本ほど暑くないとはいえ、窓が開けられないので、夏は少し大変そうだ。


一応カーテンは付いている。


冬は寒さが厳しいが、床暖房が設けられているし、暖炉もある。


再び外へ。川が近い。


川の洪水に備えて建物を持ち上げているが、実際には何度も洪水の被害に遭い、時には床上浸水することもあったそうだ。

敷地にはもう少し高い場所もあり、そちらの方が洪水のリスクも抑えられると思うが、ミースはあえて川の傍に建てた。それは人と建物と自然とを共生させるためだったのかもしれない。




この住宅では、ミースは設計だけでなく建設業務も請け負っている。しかし建設費用を巡って施主であるファーンズワースとの間で訴訟になった。当初予算の58,400ドルが、最終的に74,000ドルとなったのだ。原因はインフレによる資材価格の高騰だった。
裁判所はファーンズワースに全額の支払いを命じたが、この訴訟は有名になってしまい、両者にとって好ましいものではなかった。

そうした苦労を経て住み始めたファーンズワースだったが、何度も洪水に見舞われ、1968年には付近の川に橋をつくるためケンドール郡に土地の一部を接収されてしまった。これも訴訟になったが、結局橋は建設された。それによって車の通行音がうるさくなり(実際うるさかった)、ファーンズワースは1972年にこの家を売却した。


その後住宅は英国の不動産家でアートコレクター・建築愛好家のピーター・パルンボ卿によって購入された。パルンボ卿が約30年間住んだ後は、2003年にナショナル・トラストが750万ドルで購入し、現在の一般公開に至っている。


ちなみに建築家フィリップ・ジョンソンは、コネチカット州ニューケナンに自邸として「ガラスの家 Glass house」を建てているが、ファーンズワース邸にインスピレーションを受けたことを公にしている。

巨匠扱いされることもあるフィリップ・ジョンソンだが、正直言ってこのガラスの家はイマイチである。(個人の感想です)




さて、最後に問題?のアート。


今回はファーンズワース邸とアーティストとのコラージュということで、期間限定でAssaf Evron氏の作品が展示されていた。ガラスの一面を利用して...。

以前、前述のガラスの家を訪れた時も霧の彫刻家・中谷芙二子さんとコラボしていたが、これは分かる。霧が発生していない時間帯もあるので、建築も作品も両方楽しむことが出来るからだ。


でも今回は建物の魅力を損なっているようにしか思えない!
ガラスが見所の建物なのに、何故そのガラスに作品を貼る?  正気か?
「アート」ってホント何?!

と、怒りに任せて書いてしまったが、例えば2021年にクリストが凱旋門を包んだけど、あれは私は見に行きたかったし、でも普通に凱旋門見たいという人もいただろうしね。難しい…。

念のため書いておくと、怒りというのはアーティストに対してというより、それを企画したナショナル・トラストに対してである。
「なんかガラスばっかりで飽きたね。そうだ!たまにはアーティストとコラボして変わった事やってみようか。面白そうじゃん」ってところだろうか? 知らんけど。




バルセロナ・パビリオン(ミース・ファン・デル・ローエ)

サヴォア邸(ル・コルビュジエ)

落水荘(フランク・ロイド・ライト)


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