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諏訪大社の"御柱"をひたすら巡る
長野県中央部の諏訪地方。ここは糸魚川静岡構造線と中央構造線という大きな谷が交差する場所で、古くから交通の要所でもある。その通り、私も何度か鉄道や車で通り過ぎている。しかしいつも"通過"してばかりでは申し訳ない。諏訪といえば諏訪湖が有名だが、なんと言ってもあの諏訪大社がある町なのだ。
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そこで八ヶ岳美術館を訪れた際、初めて諏訪大社にも参拝した。
諏訪大社は建御名方神とその妃とされる八坂刀売神の2柱を主祭神として祀る日本で最も古い神社の一つだ。古事記では建御名方神が出雲で国譲りを巡る争いに敗れ、諏訪に来て国を築いたと記されている。(諸説あり)
諏訪大社はもともと上諏訪神社と下諏訪神社という別々の神社だったが、明治時代に国策によって一つの神社として扱われるようになり、それぞれ上社と下社になった。さらに上社は本宮と前宮に、下社は秋宮と春宮に分かれて鎮座している。つまり四つの神社で諏訪大社なのだ。
この四神社、結構離れているので、車で参拝しても半日はかかる。
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諏訪大社は御柱祭でも有名だろう。御柱とは社殿に建てられているモミの木の柱のこと。この木を山中から切り出して、氏子が神社まで曳行して社殿の四隅に建てるのが御柱祭で、7年に一度行われている。先ほど諏訪大社には四神社あると書いたが、御柱は四神社 × 四隅で16本あるということになる。
またこの時には式年造営として、神が祀られている宝殿も造り替えられる。
御柱は神聖なものだが、御神体ではない。その由来は神霊が依り憑く対象物(依り代説)、聖域の結界を示しているという説、社殿建て替え代用説など様々な言い伝えがあるそうだ。
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四神社に格の優劣はなく、お参りする順番も決められていない。
ということで、まずは下社の秋宮と春宮から参拝することにした。
この二社の神社を御霊代が遷座し、8月から翌年1月までは秋宮に(だから秋宮)、2月から7月までは春宮(だから春宮)に祀られている。
下社秋宮
私はあまり信心深い方ではないが、それでも神社の鳥居をくぐった先の厳かな雰囲気には思わず畏敬の念を覚えてしまう。
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参道には「根入の杉」と呼ばれる樹齢数百年の御神木があった。
この杉の木は樹齢凡そ六〜七百年で、丑三つ時になると枝先を下げて寝入りいびきが聞こえ、子供に木の小枝を煎じて飲ませると夜泣きが止まるといわれている
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神に雅楽や舞を奉納する神楽殿は1835年の造営。軒先の大しめ縄は直径1.4m、全長7.5mもある。あまり重いと建物に負担がかかるので、2021年に新調した時には重量1トンから800kgに減量したとのこと。やはりダイエットは大事だね。
手前のブロンズ製の狛犬は八ヶ岳美術館でも紹介した清水多嘉示氏による制作で、こちらも高さ1.7mとデカい。
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1781年建立の幣拝殿は諏訪造りというこの神社独特の建築様式。幣殿(神前への供物や献上物を捧げる建物)と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿が並んでいる。この奥に御霊代が祀られた宝殿があり、さらに奥には御神体のイチイの古木が祀られている。
社殿右手前に御柱が見えるが、この位置から時計回りに配置され、一から四の順に短く細くなる。
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御柱は目通り(人の目の高さの幹回り)で2.5〜3.5m、長さは12〜16m、重さは10t以上もある。こんな大きな木を山から切り出し、街中を曳行し、川を渡ってお清めして、神社まで運んでくるのだ。
秋宮一之御柱。
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秋宮二之御柱。
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三之御柱と四之御柱は参拝者が入れない森の奥にあるので見られない。
下社春宮
社殿の配置や見た目は秋宮と似ていた。後で写真を見返した時、パッと見ではどちらが春宮か秋宮か分からなかった。
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手前は1684年造営の神楽殿。
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幣拝殿(1780年)には金銀や彩色が施されているわけではないが、宮大工による彫刻が素晴らしく、品格のある威厳を感じる。秋宮と同様、この奥に宝殿があり、さらに奥に御神体の杉の古木が祀られている。
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幣殿の左右に片拝殿と御柱。
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春宮一之御柱。
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春宮二之御柱。
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この春宮も三之御柱と四之御柱は森の奥にあるので見られない。
さて、次は諏訪湖を半周して、南東部にある上社に参拝しよう。
上社本宮
四社の中で最も社殿が残っている。御神体は伊那山地の守屋山(諸説あり)。
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左は拝所、右は祈祷所である勅願殿。勅願殿は1690年建立で、御神体の守屋山に向かって祈願するためとも、朝廷や諸侯の祈願を行ったとも伝えられる。
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拝所から拝む拝殿は1838年の再建。この境内では比較的新しい。
森との境には磐座という神が降臨する場所として信仰された岩(硯石)があるのだが、コチラも諸説ある。
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本宮一之御柱。
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本宮二之御柱。傍に立つのは樹齢650年以上とされる贄掛けの欅。神社もそうだが、こういう大きな古木にも神聖さを感じるよね。
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隣に蠶玉神社があり、そこから本宮三之御柱を拝むことができる。
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ちなみに諏訪地方では、大きい神社から小さい祠に至るまで、諏訪大社にならって社殿の四隅に御柱を設ける社が多い。蠶玉神社も、写真では本物の木と交じって分かりにくいが、ちゃんと御柱が建てられている。
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小さな祠の御柱。神様に対して失礼な言い方だが、これがまたカワイイ。
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最後は上社前宮へ。
上社前宮
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個人的にはこの上社前宮が最も良かった。何というか、最も神秘的な雰囲気を感じたのだ。社殿も少なく、自然の中にあるという印象だった。
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それもそのはず。前宮は諏訪信仰発祥地とされ、建御名方神が出雲から来た時に、この場所に居を構えたと伝えられている。そのため後に現人神を務める大祝もここを居館として、古来から御頭祭をはじめとする多くの祭事を行なっていた。
参道には、その神事が行われていた(今も行われている)十間廊がある。長さが十間(約18m)だから十間廊である。
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御柱が無ければ、まるで日本のどこにでもある鎮守の森に囲まれた神社のようで、とても心落ち着く。
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伊勢神宮の御用材を使った本殿は1932年造と新しく、八坂刀売神を祭神とする。
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前宮だけは四本全ての御柱を見ることができる。
前宮一之御柱。
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前宮二之御柱。
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前宮三之御柱。
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前宮四之御柱。
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鎮守の森を水眼川が流れる。手を清める(手水)水路でもある。
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前宮裏手の鎌倉街道の旧道は本宮に続く。
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ここでお気付きの方もいらっしゃると思うが、前宮を除く秋宮、春宮、本宮には、本来神社にはあるべき神霊を宿した御神体を安置する本殿がない。御神体としては、秋宮ではイチイの古木を、春宮では杉の古木を、本宮では守屋山を拝している。つまり自然の産物ばかりだ。もともと日本の神道や民間信仰には、あらゆる物に、特に石や木に神様や精霊の魂が宿るとされる自然崇拝がある。諏訪大社は古代の姿を今なお残している神社なのかもしれない。
ただし実は明治時代初期までは御神体は"人"だった。御神体の神霊が依り憑いた大祝という神職が現人神として崇敬されていたのだ。これは世襲制で、上社では諏訪氏が、下社では金刺氏(のち武居氏)が代々担っていた。
現在ではそのような世襲制度は廃止されたが、諏訪周辺には大祝や、大祝を補佐していた神長などの神職の居館跡や墓所が残っている。
その中で、上社の神長を務めた守矢家には、ミシャグジ信仰の中枢とされる御左口神社がある。(社殿にはもちろん御柱がある)
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ミシャグジとは中部地方、特に諏訪を中心とした民間信仰の一つで、石や古木に宿るとされる神(精霊)のことだが、神長は神事の際にミシャグジを降ろしたり上げたり、依り代となる人に憑けたりすることができる神職とされた。大祝(現人神)に憑く神は建御名方神ではなくミシャグジだという説もある。
いずれにしても諏訪大社は古代神話と諏訪氏や守矢氏などの実在の部族、ミシャグジ信仰、時の権力者や中央政権の政治的影響、神仏習合などの要素が複雑に絡み合い、その成り立ちや信仰については謎の部分も多い。諸説だらけなのだ。
そしてこの歴史ある守矢家の敷地の中には"現代建築"もある。
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それは…
(続く)