読む『対談Q』 水野良樹×高橋久美子 第3回:水野くんのマグマの部分。
もし発表する場所がないとしても。
水野:「音楽とは自分そのものです」みたいなことをおっしゃる方いるじゃない。そういう言葉、自分は吐けないと思っていたし、「いやいやいや…」って冷めた言い方をしているタイプで。だけど最近、何周もまわって、音楽を作ったり、書いているという行為が結局、自分なんじゃない? って思う。
高橋:うんうんうん。
水野:父親としてとか、社会人としてとか、会社の社長としてとか、いろんなパーソナリティーがついてまわるじゃないですか。それは全部、結果でしかないというか。自分の人生そのものを表しているわけではない気がする。ただ、生きている時間そのものが、自分という物語なんだなって思うようになったのよ。
水野:それを如実に表しているのが僕の場合、曲を作ったり、文章を書いている時間そのものが自分なのかもということで。だからより純粋っぽくなってきているのかもしれないですね。不純物が混ざることに、前よりも抵抗感があって。
高橋:だんだんそぎ落とされていく感じってあるね。
水野:どう?変わってく?
高橋:私もそうかもしれないね。いちばん原石のところは守りたい。もちろん新しくいろいろ更新していくけれど、それはソフトの部分。ハードの部分っていうのは、変えようがない。純粋にものを作ることのきらめきみたいなところがないと、自分ではないとまでは言わないけれど、背骨の部分なんだと思うから。もし発表する場所がないとしても多分、書いているだろうと思います。
水野:もう、心のなかで「いいね!」ボタン押してますよ(笑)。
高橋:ははは。
水野:そうなんだよね。俺、その気持ちが強くなりすぎちゃっていて。「別に聴いてくれなくても」みたいな。職業人として絶対言っちゃいけないやつ。
高橋:中二になっとる(笑)でも中学生のときは、まさにそうやったんよ。誰にも読まれんけどずっと書きよったから。水野くんは今、それが来とるんやね。
水野:かもしれないね。
高橋:いいんじゃないかな。『OTOGIBANASHI』がその最たるところというか、実験室というか。ピュアな部分の塊のような感じもするから。
水野:いろんな偶然が重なってこの企画が始まったんだけど、これはやっぱり”寂しさ”の極致だよね。
高橋:そうだなぁ。
水野:曲を作るとか、詞を書く作業って、基本的に孤独じゃないですか。でもそのアウトプットする作業の片側半分を開いちゃっている作品なのね。孤独なところをパッと開けて、同じ作品っていうひとつの対象物、一緒に星を眺めるような感じで。
水野:だけど、一緒の星を眺めているんだけど、たとえば皆川博子先生が見ている星と俺が見ている星は、同じようで同じじゃないんですよ。
高橋:そうなんですよね。
水野:ただ、“一緒の星を見ているだろう”ってことは共有しているから、一瞬、孤独感がまぎれる。そういうことを表現したかったんだと思うんだよね。今振り返ると。
高橋:孤独のことは、最初の序文にも書いていたし、もらった冊子のなかにも書いてあって。その文章がはじめて見た水野くんのマグマの部分な気がして。
水野:まだそんな見せてなかった?
高橋:歌のなかだと、やっぱり“桜の木”なんですよ、水野くんって。
高橋:『犬は歌わないけれど』にも、「僕は桜になりたい。そういう歌を作りたい」って書いてあったけど。自分のためでもあるし、みんなのためにも作っている。そこは前に対談させてもらったとき、私と正反対だったことがあるよね。でもこの序文を見たときに、溢れ出てくるものを、途方もなく書き殴った感じがして、これこれ!って思った。水野くん中学生に戻ってる!って。
水野:そうねー。何周かまわったのかなー。
あ、みんな残されたひとなんだ。
高橋:お子さんに伝えたいって気持ちで、そこに戻っていった感もあるのかもしれないとも思った。
水野:ちょっと逆説的なんだけど、子どもが産まれて思ったのは、“とはいえ他人だな”ってことの寂しさがある。彼は彼の人生を歩んでいくんだな。そうであるべきなんだな。って今から思っちゃっている。どこかで切らなきゃいけないというか。僕もそうだったじゃない。親のもとを離れるときって。
高橋:そうね。
水野:それこそ地元を離れるときって、何かの覚悟を持って、何かを切って、前に進むじゃん。それって人間のあるべき成長の姿っていうか。そこに寂しさも感じたんだけど、一方で、「あれ?」って思って。こいつ、俺が死んだあとも生きるな、って。
高橋:うん。
水野:で、ふと、ばあちゃん死んだあと、俺生きてんだ、みたいな。ばあちゃん、俺のことを可愛がってくれたな、って思い出がたくさん自分のなかにはあって。あ、みんな残されたひとなんだ、みたいな。意外と孤独じゃないかも、って思ったのよ。
高橋:そこは全員平等なところよね。
水野:もちろん綺麗な物語だけじゃない。残されたことによって、何かつらい思いを持っているひとはたくさんいるし。家族が素晴らしいとか、そういうことを言いたいわけでもなくて。客観的な事実として、ひとりではなかったっていうところから、始まっているんだなって思ったときに、『OTOGIBANASHI』になったんだよね。広げてみようみたいな。
高橋:今までもいろんなひとと、コラボレーションという形で歌を出してきたと思うけど、ここにはまたさらに歌を超える願いがね。
水野:そう、願いだよね。
高橋:作品を越えたものがある感じがしましたね。すごいなーと思った。
水野:久美子ちゃんと話すときに、安心して喋れるのも理由があると思うのよ。もちろんふたりで全然違うものを書いていると思うし、全然違う景色を見ている瞬間がある。だけど多分、何かを感じ取っているんだよね。孤独に対する肌感なのか、他者への距離の取り方なのか。それがあるひととないひとがいるんですよ。
高橋:なるほど。そこを感じながら生きているかどうかっていうね。
水野:アクションを起こしていくじゃない。穏やかに見えていますけど、本を読んでいただいたらわかるように、結構パワフルですよ。
高橋:結構アホやと思います。
水野:全然動じないというわけじゃないけど、周りのひとにちょっと冷たい目で見られても、そこを乗り越えていこうとされるというか。手を伸ばしていきますよね。
高橋:その瞬間を逃したら、もう今ってものが通り過ぎてゆくんよね。そこへの恐怖感がある気がします。
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