読む『対談Q』 水野良樹×橋口洋平(wacci) 第4回:強さを説明するための弱さは必要。
減点のないひとがカッコいいのか。
水野:二人称の書き方も難しいよね。主人公がいて、<あなた>に対して言葉を贈るって歌詞の書き方あるじゃん。歌詞自体が手紙になっているみたいな。ただ、<あなた>に言葉をぶつけているのを、聴く側が第三者として見ているみたいな歌詞もある気がするの。これのほうがカッコいい男を書きやすいと思うのよ。
橋口:書きやすいですね。たしかに。
水野:手紙を書いているような歌は、どうしても自意識が入っていくと思うんだよね。「こういうこと言ったらカッコ悪いかな」とか、計算が入って来る。でも第三者的な視点から見ていくと、主人公が無我夢中で、「このひとを喜ばせたい」って光景がもうちょっと浮き彫りにできる気がして。それは書けるんじゃない?
橋口:そうかぁ。
水野:「別の人の彼女になったよ」もさ、あの女の子が、彼にメッセージを贈っているじゃない。思いがある元カレに対して、「今の彼氏はこんなだよ」って。それを聴き手は第三者として見ているよね。自分がその主人公になるんじゃなくて、そういう女の子がいるって状態を見て、「わかるわぁ…」って共感している構図ができている。
橋口:っていうことは、あの曲は俯瞰ですか?
水野:俯瞰な気がする。
橋口:であれば、やっぱり物語が成立している歌詞ですね。要は主人公AとBがいて、みたいなことが頭のなかで描ける歌ってことになりますよね。多分、それがカッコいい男を書きやすそうだと思います。
水野:いける? じゃあ1か月後くらい締め切りで。
橋口:いやいやキツい! でも果たして、聴きたい歌になるかな?っていうのはありますね。
水野:そこねー。そこあるよね。
橋口:ジャンプするときも、助走をつけてしゃがんでジャンプしたほうが高く飛べるみたいな話ですから。だから難しいかもしれないですけど…。たしかに書けそうだなぁ。物語としてそこにあるものであれば。
水野:あと歌えるのかって話ね。歌うほうが気を込めて。
橋口:歌うことの懸念よりも、いい歌になるかなって懸念のほうが大きいです。男がカッコいいだけの場合、たしかに俯瞰してみたら、イヤな感じじゃなく書けるかもしれないんですけど。単純に今まで歌っている歌詞から、情けない部分をそぎ落としただけの歌詞になりそうです。
水野:なるほどねぇ。
橋口:減点法というか。そこに何を書けばいいんだろうって思っちゃう。
水野:結局、カッコよさの定義の話になっていくんだろうね。減点のないひとがカッコいいのか。情けない部分がないひとがカッコいいのか。どうだろうって思っちゃうから、そこでいい歌になりそうな気がしない。
橋口:だってカッコいい理由になる何かのハードルとか、何かの行動がないんだもん。
水野:ただ真っ白なひとが出てくる。そっかぁ。難しいなぁ。100%のひとはいないから、結局カッコ悪いところからスタートして、カッコいいにいかないとダメなのかな。
橋口:え、どういうことですか?
水野:カッコ悪い男を書いているつもりでも、ダメなところから立ち上がっていくんだから、結果的にカッコよくなっているよねって話。その構図じゃないと、カッコいいアクションは書き切れないから。最初からカッコよくて、プラスからプラスに行っても、何も物語は起こらない。マイナスから書くしか。となると、今までやっていることと同じやんっていう。
橋口:同じになりますよね。カッコいい男のカッコよさを説明するために、マイナスな部分をしっかり書かなきゃ伝わらないから。完璧なひとは書けない。そのカッコよさを説明するために、どんなマイナス面を置くかって話で。ラブソングだったら、情けなさ女々しさ。応援歌だったら、環境だったり誰かと比べたり。で、そこを乗り越えるカッコよさみたいな。
水野:だんだん塾の先生に見えてきた(笑)。このポイントをご覧くださいみたいな。
みんなちょっと足りないひとが好き。
橋口:まぁ僕の歌は、マイナスから脱却できないカッコ悪さがありますけど。カッコよくなりきれない。
水野:そこはなんかいやらしいなぁ!マイナスからマイナスのままってところ、どこか可愛げに変えているよね。
橋口:たしかにそう。「恋だろ」って歌も、そこに可愛げが混在しないと成立しない歌ではありましたね。
水野:で、「そんなダメなあなたには私がいなきゃ」みたいな構図が生まれていくやん。ちょっともう話が飛んじゃうけど、ダメな男がみんな好きだもんね。
橋口:そうですね。男も女もじゃないですか? 完璧に出来すぎている女のひとよりも、ちょっと足りないひと。「足りない」って歌で書いたんですけど、自分が守ってあげられるような余白があるひとのほうが、好かれるみたいな。ありますよねぇ。なんか恥ずかしくなってきました。
水野:本当に、カッコいいひとって損しているね。
橋口:あー、そうかもしれないですね。
水野:ちゃんとできて、ちゃんとやれるひと。新しく付き合った彼女にも、元カノを思い出させるだしにされちゃうし。歌にもならないし。カッコいい男は損をしていると思うんですよね。だから答えの出ないままね…。やっぱり女性が入ったほうがいいのかもしれないね。この議論に。
橋口:すごく思いました。女性が入ると、この定義がまた全然変わってくると思うんです。
水野:そう、そうだよ。
橋口:で、結局、音楽って女性のお客さんって多いじゃないですか。カッコいい男の概念が全然違う可能性があると思って。
水野:関取花さんみたいなね。関取さんは自分で歌を書くじゃない。多分視点が違うと思うのよ。で、一般のファンのひとたちの視点も違うと思う。で、違う女性のシンガーソングライターのひとが来ても全然違う。関取さん個人の趣味がある。「こういう男嫌いだ」とか、絶対あるから。
橋口:ひとによって違ってくるってところですね、究極。
水野:そうしたら今日、ただ森に迷うだけ(笑)。
最初から最後までカッコいいだけだと歌にならない。
橋口:そもそもこのテーマにしたのって、情けない男像を前提に歌を書いてきている僕らがいるからってことですよね。
水野:そう、橋口くんと久々に喋れると思って、ずーっと歌詞を眺めていたわけ。で、やっぱり弱い男を書くことがめっちゃうまいなって思うわけ。ひとの弱さみたいなのを書いて、それが変にへりくだって見えないというか。自分で歌を書くときに最近思うのは、強さの度合いって難しいなっていう、まったく別の視点であって。そのときにリンクして、「そういえばカッコいい男って、書きづらいな」って。
橋口:うんうんうん。
水野:カッコ悪い男って、たしかに書き筋としてはあるけど、カッコいい男…。「橋口くんの歌も、もしかしたらそこらへん話したらおもしろいかも」って思って、ここにたどり着いたんだけど。そうしたら結構、深いところに当たったね。
橋口:そうですね。展開しすぎた感じが。
水野:まとめきれないんだけど。でも意外と大事なことだと思うのよ。カッコよさの定義もそうだし。強い人間をどう書くかってところはポップス難しいところっていうか。そこは今後も議論の対象として考えたい。
橋口:でも結局、行きついたところとしては、その強さを説明するための弱さは必要ってことですよね。
水野:そうなんだよね。いやぁ難しい。
橋口:最初から最後までカッコいいだけだと歌にならない。カッコよさを説明するためのカッコ悪さを描くことが、歌というものにおいては必要だ、ということがひとつありそうですね。
水野:全部まとめていただきました。宴もたけなわではございますが、こんな感じでわりと普段のご飯会もグダグダ喋っていますね。ずっと。
橋口:すぐ時間が経ちますよね。
水野:本当に。いつもありがとうございます。
橋口:ありがとうございます、こちらこそ。
水野:またいつかですね、この先へお話を進めていけたらいいなと。
橋口:どの話を進めるか…。
水野:でもまたその間に曲を作っていくじゃない。で、また発見するじゃない。それがまたおもしろいよね。俺も発見していくけど。それを持ち合わせて喋る。
橋口:そうですね。
水野:そんなわけでございまして、今日の対談Qのゲストは橋口洋平さんでした。ありがとうございました!