読む『対談Q』 水野良樹×半﨑美子 第4回:埋もれている小さな声や思いこそ、私が歌にしたいもの。
自分の活動の活動を全肯定してきた。
半﨑:私、36歳でデビューしているんですけど、水野さんは2000年くらいから始められたんですよね?
水野:デビューが2006年なんですけど、2003年ぐらいにライブハウスとかでやっていて、「本当にこの道で飯を食っていこう」っていうモードになっていましたね。結成は1999年です。
半﨑:そうですか! 私も歌手を志すって決めて上京したのが2000年なので、勝手に重ねると同時期で。私は2017年にデビューしているんですけど、ひとりでいろいろ活動していたわけじゃないですか。自分の活動とか、足りないところを勝手に付加価値としてみなして、全肯定してきたんですよ。
水野:ああー。
半﨑:たとえば、「17年の下積み」とか「36歳遅咲きのメジャーデビュー」とか、メディアで取り上げていただいたんですけど。下積みだとか思ったこともないし、36歳でのデビューが自分にとってベストタイミングで。なんなら最短ルートぐらいに思っていて。そうやって自分の過去を、「これが正解だったんだ」ってあとから決めていくみたいな。そういうふうに自分のなかで無理やり押し進めてきた部分があって。
水野:なるほど。
半﨑:水野さんはそういうのってあります? 自分たちの活動に対して。多分、どこかに到達することとか、何かを達成することよりも、道のりを大事にされているんじゃないかなって。
水野:これは難しいですね。本当にいろんなブレや振り幅があって。究極的には、やっぱり青春物語だったんだなって思うときがあります。とくにメンバーの山下が離れるとき思いました。これは青春物語だったんだなって。
半﨑:すごいですね、その言葉。
水野:まぁ僕も憧れるから、カッコつけて職人っぽく、ポップスはああだこうだとか生意気に言ったり。「ひとではなくて作品なんだ。とにかくそこに頑張っていくんだ」みたいなことを、とくに20代の頃は言っていました。けど振り返ったら、ただの青春物語じゃないかみたいな。やっぱり小学校のときから知り合いなので。
半﨑:そこにまとめられるのがすごいですね。
水野:吉岡も高校1年生でしたかね。近所のキャピキャピしている歌がうまい子が来て。それぞれの成長の恥ずかしいところも、頑張っているところも含めて、全部見ちゃっているんですよ。そして、たくさんのひとに出会って、いろんなひとのおかげでご飯を食べられるようになって、聴いてもらえるようになった。だけど、青春物語だったなって。ただ、今難しいのは、青春物語のままではいられないって思う吉岡と僕がいるので。
半﨑:なるほど。
水野:山下はそのなかで葛藤して、自分には違う道もあるかもしれないって、違う道を選んだから。ある意味それはすごく正しいと僕は思っているんですね。だからこそ引き止められなかった。それはそうだよねって、頷いちゃったところもあって。どちらかというと吉岡と僕は、音楽に対しての気持ちが、はじまったときよりもちょっと強くなっちゃったんですよね。これもいいことだとは思うんですけど。
半﨑:すごいことですね。
水野:今はもうちょっと音楽を頑張りたいみたいな気持ちが、ふたりのなかで強いから。どこかいきものがかりは、同じグループだけど別のグループになるような感覚が。
たったひとりの方の思いを受け取って、曲にする。
半﨑:へぇー! そういう青春物語をファンのみなさんが、一緒に共有してきたってことですよね。それがやっぱり素晴らしいし、私もそう在りたいなって思うんですよ。思いを共有し合う。それが自分の生き方でもあるし、自分の作品でもあるし。音楽の形態や届け方が変わったとしても、自分にとってお客さんとの1対1の関係は、もう変わりようがない。広くたくさんのひとにというより、たったひとりのひとに深く。
水野:はい、はい。
半﨑:学校公演で卒業式とか歌いに行くと、スライドとかでいきものがかりさんの曲をみんな使っていて。やっぱり私も感動するんですよね。いきものがかりさんの楽曲のマッチングだけではない、一緒に学生さんたちと歩まれているストーリーが目の前にあるみたいな感じで。私はそこにはなれない。けれど、別のルートでともにしていくというか。
水野:はい。
半﨑:私は全員に、大衆に、っていう感じでは決してないんですけれども。でもたとえば、卒業できなかったって方がいたとか。そういうたったひとりの方の思いを受け取って、曲にするのが自分にできることなのかなって。それも意識したわけじゃないんですけれども、活動を続けていく上でそういう気持ちになっていたというか。
水野:それは大事なことですね。僕らは「YELL」って曲を卒業式でたくさん歌っていただいていて。とくに20代前半ぐらいの方ですかね。初めて会ったとき必ず言われるのが、「卒業式で歌っていました」とか。それってすごく幸せなことで。
半﨑:すごいことです!
水野:非常にありがたいこと、幸運なこと。曲を作っている人間にとって、これ以上ない喜びのはずなんですけど。最近、はたと止まってきて。
半﨑:え、なんでですか?
水野:多分、拾えなかった気持ちがたくさんあるんじゃないかなって。卒業式でどの年のひとでも、「あれを歌いました」って言える。それって実は、あの曲が大勢多数の、「卒業ってこんなもんだよね」とか「こういう感動をしなきゃいけないよね」っていう、悪い意味での道徳みたいなものになってないかなって思う瞬間があって。
半﨑:なるほど…。
水野:もちろんその曲を愛してくださって、自分を重ねてくださったことは、嬉しいんだけど…。半﨑さんがおっしゃられたように、もっとひとりひとり、大きく括れないものに自分の身が置かれている方々に結びついていきたい。そういうところを、僕は僕なりのやり方でやらなきゃ、曲を作っている意味がないんだろうなって、最近すごく思っていて。
半﨑:へぇー…。
水野:どこか贅沢な悩みなんですけどね。「YELL」は本当にいろんなことを教えてくれる曲です。吉岡とも、「もう自分たちの曲じゃないみたいだな」って思う瞬間もあるし。
半﨑:そうですよね。みんなの曲になっていますよね。
水野:半﨑さんがおっしゃられた、ひとりひとりのって…。言葉にすると、当たり前と言えば当たり前なんですけど、やるのが難しいんですよね。
2018年1月2日の確信。
半﨑:全部は無理に近いですよね。だからそこはものすごく私も勝手に共感させていただくんですけど。ただ、自分のなかではっきりとした瞬間が、2018年、イオンレイクタウンで1月2日に歌わせていただいたときで。
水野:日付まで覚えてる!
半﨑:もう2階3階までウワーッとひとが集まってくださっていたんですね。私はいつも会場のチェックをするので、そのときも始まる前に2階とか3階から覗いたりしていたんです。そうしたら、もちろん私って気づかず、赤ちゃんを連れた若いご夫婦の旦那さまが、「あ、なんかやってる」って。で、その奥さまが、「ショッピングモールの歌っているひとでさ、「サクラ~卒業できなかった君へ~」って曲知らない?」って言ってくれたんですよ。そうしたら旦那さまが、「え、正月早々縁起悪い」って言ったんですよ。
水野:(笑)。
半﨑:私、そのときに、「あ、なるほど、これだ」って思ったんです。やっぱり一般的に多くの方は、お正月はみんなで集まるとか、クリスマスは家族や恋人と、って思う。だけど、そういうときにこそ悲しみや孤独が深まるひとがいる。お正月に一緒に過ごすひとがいない方たち、きっとたくさんいらっしゃるじゃないですか。
水野:はい。
半﨑:表に出やすいこととか、大きな声は届きやすい。だけど、そのなかに埋もれている、小さな声や思いこそ、私が歌にしたいものだって、自分のなかで何かを確信した瞬間でした。
水野:すごい体験ですね。いやぁ…そうですか。多分それまでの半﨑さんの活動がなければ、同じシチュエーションに出会っても、気づけないですよね。ずーっとそのことを言葉にしなくても考えていて。あるとき、旦那さんの生活の普通の言葉が。
半﨑:そうですね、よくあるような。
水野:それを聞いたとき、「あ、私はこういう役割を持っているんだ」って。まさにそのとおりだなって思うし。そういうときの会話が本当にヒントになるんだよなぁ。
半﨑:なりますよね。意外とそういう会話が。
水野:僕はこれよくする話ですけど、「ありがとう」を出したときに、僕は自信がなくて。
半﨑:「ありがとう」に? え、それは発売してから?
水野:発売してからも。あれがいちばん自信なかったんですよ。
半﨑:反響があっても?
水野:反響があっても。自分のなかで手ごたえがなかった。それを出しちゃいけないんですけど、ずっと迷っていて。で、だんだん反響が出始めても不安だったときに、近所の総菜屋さんで弁当を選んでいたら、隣に若い夫婦がいて総菜を選んでいたんですよ。そうしたら、有線かなんかで「ありがとう」が流れ始めて。
半﨑:はい。
水野:奥さんのほうが、「あ、ゲゲゲの曲だ!」って、口ずさみ始めて。それを旦那さんが茶化したのか、旦那さんも歌い出したんですよ。で、夫婦でイチャイチャやっているわけ。
半﨑:最高ですね!
水野:そうしたら、クリエイターとしていい曲が書けたかどうかとか、手ごたえとか、自分がどう認められるかとか、そんなのどうでもいいなと思って。今、この夫婦の何気ない会話を生んでいることのほうが価値がある。僕はそこを目指さないといけない。いきものがかりはそこを目指さないといけないって、思ったんですよ。
半﨑:そうやってご夫婦のなかに息づいているとか、生活に根づいているとか、子どもたちが歌っているとか、自分たちの青春と重ねてこの歌を頼りに生きてきたとか、それほど尊いことないと思います。
水野:そうですねぇ。なんか…そっちにいたいですよね。そこにいたいなぁって。だから、ちょっと言葉が変だけど、音楽やっているようで、音楽やってないんですよね。
半﨑:そうそうそう。だって、もうサウンドがどうとか、ほとんど関係ないところで。
水野:だからこそ、この問いなんですよね。
半﨑:ここに今、戻ってきたんですね。そういう気がしました。
水野:改めて。もちろん音源の素晴らしさもあるし、配信ライブのおもしろさもあるけど。ひとの実在というか。日々の息吹というか、そういうものがどこか必要なのかなって思いますね。
半﨑:やっぱり場の共有ですよね。あと、余韻やライブ前後みたいなところも含めて。どうしても配信だと、真っ暗になって終わりっていうところで。
水野:ライブの前後をどうプロデュースするかがいちばん大事って話ですからね。ライブが終わったら、どうやって帰ってもらうかまで考えるのが、路上ライブとかショッピングモールとか、生活の場で育った人間のサガで。
半﨑:そう、考えてしまう。
水野:でもそれが、音楽が社会とか生活に結びつく上ではすごく大事なことで…。非常に印象的なエピソードも聞かせていただきました。また、お会いして、続きを聞かせていただければなと思います。
半﨑:ぜひ!
水野:今日のゲストはシンガーソングライター・半﨑良美子さんでした。ありがとうございました。
半﨑:ありがとうございました!
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