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読む『対談Q』柴那典さん(音楽ジャーナリスト)前編③
HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されている『対談Q』。こちらを未公開トークも含めて、テキスト化した”読む”対談Qです。
今回のゲストは音楽ジャーナリストの柴那典さん。
前回はこちら↓
柴:これ、いつも僕がインタビューする立場だから聞きたいんですけど。水野さんってHIROBAで『OTOGIBANASHI』を始めて。あれ、めちゃくちゃ大変なプロジェクトだと思うんですけど。素朴な質問として、なぜあんなに大変なことをやろうと思ったのか。
水野:なんかヒントが欲しかったんでしょうね。『OTOGIBANASHI』って企画が終わって、今、振り返って思うんですけど。なぜ、ひとは物語を作るのか、なぜ、ひとは歌を作るのか、というめんどくさいことを考えるんですよ。
柴:ええ。
水野:で、やっぱり「物語を共有したとき」がいちばん人間は孤独感を感じないんじゃないかって、最近、思っていて。たとえば柴さんと僕とは、今、同じ空間にいるじゃないですか。でもこう思えているのって、どこか虚構だと思うんですよ。
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柴那典
1976年7月19日神奈川県生まれ。京都大学総合人間学部卒業。
2014年4月初の著書『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』刊行。
新刊は『平成のヒット曲』(新潮新書)
編集/執筆活動のほかテレビやラジオにも出演。
水野:僕が今、この洋服の生地の色を「グレーだな」って思って、多分柴さんも「グレーだね」って言うと思うんですけど、もし互いの眼球の組織を入れ変えたら、実は僕には青色に見えていて、柴さんには赤色に見えているかもしれないっていうか…。認知の話なんですけれど。
柴:そういうドレスの話ありましたね。青か金かみたいな。
水野:同じ世界にいると思っているけれど、厳密には勘違いの可能性もある。でも、一緒の空間にいて、会話をできているって思うから、安心感を感じられる。小さな子どもが、なぜ夜眠るときに絵本を読みたがるのか。あれって、同じお話を共有できると、すごい安心感があるからだと思うんです。向き合って喋るよりも、一緒に空を眺めて、同じ星を見ていることを共有できたほうが、他者と分かり合えたような“勘違い”をすることができる。安心感を得ることができる。
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水野:物語とか、音楽ってまさにそういうことで。音楽ってその場にないじゃないですか。メロディーって譜面には起こせるけど、“ない”ものじゃないですか。でも、たとえば「ありがとう」のメロディーを思い出してくださいっていったら、なんとなく思い浮かぶ。多分、今、僕も柴さんも、同じメロディーを思い浮かべていると思うんです。
柴:はいはい。
水野:『OTOGIBANASHI』をなんでやったかというと、小説家の皆さんが書いた物語や歌詞って、彼・彼女のなかで、イメージされている世界があるんですね。僕もその世界を想像しながら書く。それらは、もちろんズレている。だけれども、やり取りのなかで、一致している瞬間があるんですよ。一致していると感じられる瞬間。同じものを見ているなとか、同じ匂いを感じているなって。それがすごく楽しかったんですよね。今、世の中に必要なのはそういう営みなんじゃないかなって。
柴:なるほど。
水野:政治の話になったらまさに如実に表れるけれど、みんな、全然違うものを見ているじゃないですか。たとえば極右のひとと極左のひとがいたら、ひとつの同じ世界を見ているはずなのに、全然違うものを見ている。ひとつの歴史的事実を全然違う解釈でとらえている。でも、違うということを認め合いながらも、同じ対象を見ていることを共有できたときに、始まる物語がある気がするんです。それが文化的なもの、創作物がある意味なのかなって。で、ポップスって、そういう“ともに眺めるもの”を提供しているんじゃないかなって。すみません、長くなっちゃったんですけど。
柴:僕のような、ジャーナリストの仕事って0→1ではない。起こっていることを後から追っかける仕事なので。基本的には何かが起こった現場に行く仕事。でも、最初のドミノの1個目が倒れるときって、驚きと喜びが重なりあっているような瞬間だと思うんですね。レコーディングスタジオで「それ!」みたいな瞬間。それが波紋として広がって、ヒットとして世の中には受け入れられる。現象を見ていると後追いですから、見えいくい部分もあるんですけど。その最初のドミノの倒れるときの感覚がいちばん大きいのかなって思ったりします。
水野:作り手の立場からすると、たしかにそのドミノが落ちる瞬間、僕はいくつか経験したはずなんですが…。一方で、広がっていく現象の凄まじさってあるんですね。自分の力じゃないって思う瞬間。広がるときのパワーって無視できないなと思う。何を言いたいかというと、現象が起きていることを書き記したり、そこに批評を加えたりっていう側のひとの力もすごく強いんだろうなって。
柴:そうですね。それはたしかに。
水野:で、柴さんにも、現象をとらえるスタンス。何をピックアップし、どこを見るかっていう眼差しみたいなものに、やっぱり柴さんの考えが、当たり前だけど入っている気がします。それってどれぐらい入れているものですか? フラットでいようとされているんですか? それとも、何かしらの社会に対する姿勢みたいなものが柴さんのなかにあって、それが文章に反映されるのか。
柴:それで言うと、僕自身も書き手としてのスタンスが出ているかもしれないっていう例があって。『平成のヒット曲』では1992年のところで、森高千里さんの「私がオバさんになっても」を選んだんです。
水野:はいはい。
柴:あの年、実はあの曲は年間50位内には入っていないんですね。それこそ米米CLUBとか。ビーイング系も勢い出てきた頃で、他にもヒット曲がたくさんある。けれど、あの曲を選び、あの曲を語ろうと思ったのは、やはり2020年代からの視点で見ると、書けることがたくさんあるから。あの時代の<女ざかりは19>っていう言葉が歌詞に残っていることによって、当時の女性の見られ方っていうのが…。
水野:今はアウト―!ですね(笑)
柴:そうそう(笑)今はアウト!って言えるけれど、これって歌詞に残ると、歌わざるを得ないじゃないですか。
水野:昭和の曲なんかは、アウトな曲いっぱいありますものね。
柴:もちろん歌だけじゃなくて、ドラマとかもきっとそういうことがあるんでしょうけど。でも、ドラマは役者さんが10年20年同じセリフを言い続けるってあまりない。歌は10年20年同じフレーズを歌い続けるから。
水野:ええ。
柴:当時の感覚の“あの言葉”を、40代になった森高さんが歌うことで、また全然違う意味が。
水野:そうですよね。本当にそうだと思います。
柴:「私がオバさんになっても」って、20代の森高さんが歌うのと、40代で歌うのとで全然、意味が違う。その広がりはあの曲を選ぶことによってしか書けないこと。ヒットした当時と、それが今になってどうか。そこを書ける曲っていうのを選ぶ。たとえば安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」もそうですよね。結婚の歌だけど、40代になった安室さんが今歌うと人生の歌になる。耐久性というんですかね。歌が持つ…。
水野:そこをピックアップする視線が、ずっと柴さんのなかにはあるから、そこを選ぶんですよね。
柴:そうですね。やはり個人的な好き嫌いでは選べなかったですね。
水野:好き嫌いじゃないですよね。問題意識というか。すごく重要だと思う。
柴:うん、そうだと思います。
後編①へつづく…
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