![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31658529/rectangle_large_type_2_481eff4c4b53d10b0a5f3d76f427565b.jpeg?width=1200)
【後編】音楽文化と社会の結びつき
「TOKYO NIGHT PARK」柴那典さん対談 HIROBA編集版
水野 話題が変わりますが、柴さんはなぜ音楽ジャーナリストの道に進んだんですか?こういうことを聞く機会はなかったのですが。
柴 あくまで僕の定義ですが、音楽ライターの仕事と音楽ジャーナリストの仕事を分けて考えているところがあります。
水野 なるほど。
柴 音楽ライターになったのは間違いなく雑誌「ロッキング・オン」に就職したのがきっかけです。アーティストが新作に込めた思いなどを取材したりライブをレポートする。つまりアーティストの表現ありきで、それを題材にいろいろなことを語っていくのが音楽ライター。
水野 はい。
柴 僕が音楽ジャーナリストと言い始めたのは2010年くらいからです。音楽業界、音楽カルチャー、音楽シーンのようなものが社会の中でどのように扱われているか、社会にどんな影響を与えているのかを取材して発信していく。まさに「ヒットの崩壊」を書くうえでの最初のポイントでもあります。そこに関して問題意識を持ち始めたのが最初ですね。
水野 問題意識を持ち始めたきっかけは何だったんですか?
ここから先は
5,653字
/
1画像
¥ 400
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?