マスクをすると、犬が吠えるようになりました。
マスクをすると、犬が吠えるようになりました。
外出するときはマスクをつける→マスクをつけたら外に出る。
なんか父ちゃん、外にでるときはこの布みたいなやつをつけるらしい。
この布みたいなやつをつけたら、父ちゃんは外に出る。
外に出る=つまり、散歩だ!!!
父ちゃん散歩連れてけ!!!
という感じで、吠えているみたいです。
自分に都合がいいことの覚えは、やけにいいですな。
「さんぽ」「おやつ」「ごはん」みたいな単語は確実に理解してる。
ニュースで”川崎病”という言葉を聞くと、ぴくっとします。
もう37歳で、おかげさまで健康にやってこれて、幼少の頃の病歴を隠す理由もないと思うのですが、自分も2歳のときに川崎病を罹患しました。80年代なかばで、当時でも年間数千人〜1万人強がなってしまう病気だったようで、たまに「俺もちっちゃい頃やったんだよー」と言うひとには出会いますね。今でも毎年たくさんの人がかかってしまっているそうです。
※ちなみに”川崎”は地名ではなく、病気をみつけた先生のお名前。小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群。
2歳だと記憶に残ってないんじゃない?
もちろんほとんど忘れているんですが、2歳の子供が入院して両親から離れるというのはそれなりにインパクトがあったようで、なんとなく病室にいたときの記憶があって、それが生きてきたなかで残っている最初の記憶だと思います。
幸い、僕は後遺症は残らなかったようで、毎年の定期検診を受けながら症状がでることもなく成人し、今に至っています。それでも二十歳くらいまでは毎年病院に行って心電図とかをとったりしてました。小さい頃は母親に連れられて、家から遠いところにあるちょっと大きな病院にいく恒例行事みたいな感じになってました。帰りにファミレスとか連れてってもらって。
主治医の先生が、年を追うたびに偉くなっていって笑。
だんだん診察に助手とか、たぶん研修医さんでしょうか、生徒さんみたいなひとがついて。子供ながらに「先生、出世してるんだな」って思ってました。『白い巨塔』みたいな感じかな笑。
あの先生、今、お元気にされてるだろうか。
伝えたい。先生、俺、元気です笑
(昭和の匂いぷんぷんの写真)
外出自粛になって、当然、息子も毎日家にいます(そしてありあまるパワーを家庭内で爆発させています)。
これくらいの幼い子が体調も悪くなって不安な状態で親から離れるって、それはとっても厳しいことだったんだろうなと思います。
そして今になって思うのは、離れざるをえなかった親側の気持ち。大人になって息子を目の前にして、そっちの立場も想像するようになりました。
僕は小学生になるまでに3回入院したんですが(小学生になって以降は健康一色でした)、母は最初の入院のときにつらい思いをして「次は絶対に離れさせない」と、2回目からは付き添い入院ができる病院にしたそうです。今から30年以上前のまだ昭和の時代ですから、現在とは病院のシステムも全然違っていたのでしょう。どんな状況だったのかは当然、僕にはわかりませんが、となりに母がいてくれた記憶も、これまた残っています。
この春のことも、みんな覚えていきながら、生きていくんでしょうね。
水野良樹
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