『HIROBAビジネス』水野良樹✖️小泉文明 前編
『考えること、つながること、つくること』 その3つを豊かに楽しむための広場=「HIROBA」で新しい企画がスタートします。
これまで、エンタメ業界で活躍されている方々や音楽の作り手の方々との対談を中心にお届けしてきましたが、音楽作品と同じように社会に影響を与えているサービス、事業を作ってきた経営者の方々からも、何か刺激を頂けないかと思い、ヒットサービスやヒット企画をつくった素晴らしい企業家の方々との対談企画『HIROBAビジネス』を始めることにしました。
第1回目は、鹿島アントラーズFC代表取締役社長でありメルカリ取締役会長の『小泉文明』氏をお迎えします!
水野:今日は大変な状況の中、お時間頂きまして、ありがとうございます。
小泉:いえいえ、こちらこそありがとうございます。ご無沙汰してます。
水野:リモートになりますが、今日は色々とお話を聞かせて頂ければと思っています。よろしくお願い致します。
小泉:よろしくお願い致します。
まだ10名の会社だった『ミクシィ』との出会い
水野:小泉さんは経営者として様々な事業やサービスに携わってきたかと思いますが昔から「事業」をやりたいという気持ちがあったんですか?
小泉:もともとずっとインターネットが好きで、中学1年からパソコンをよく触ってたんですよ。1993年くらいなんで、当時だとかなり早い方だったと思います。
水野:もう27年前なんで、それは確かに早いですね。
小泉:そうなんです。それで高校生ぐらいからインターネットにアクセスするようになって、当時、裏原宿系ファッションが全盛の時代で、原宿で売られている靴や服を地方在住の人たちの代理で購入して、ネットで販売してました。地方の人からすると東京に来るコストもかからないし、靴だと定価のプラス5000円とかで売れて、大学時代はバイトもせずに普通に稼いでいましたね。
水野:学生時代からビジネスの芽というか、普通の学生だったらアルバイトして稼ごうってなると思うんですけど、ビジネスチャンスというかそこの『気づき』ってすごいですね。
小泉:たぶんそのきっかけは中学時代の原体験にあって、中学3年生の時に『エアマックス95』っていうのがとんでもなくヒットしたんですよ。定価の何倍にも跳ね上がって販売されてたんですが、発売初期の頃にかっこいいなと思って普通に買ってたんですよね。
水野:何も価値がついてない時に?
小泉:そうですそうです。定価の1万5000円で普通に買って、それが数か月後に10万円を超える価格になっていたんです。まさに、「自分が良いと思ったモノの価値が上がる」原体験ですよね。そこからファッションが好きになって、当時の裏原ファッションに希少性も感じていたので、欲しい人は少しくらい高くても買ってくれるだろうと。だからそこで商売になるなっていうのは高校生くらいには考えていて、それが大学時代のビジネスに繋がりましたね。
水野:大学時代からすでに自分でビジネスをされて、でも卒業後は証券会社に就職されたんですよね?
小泉:そうなんです。あらためて就活する時、インターネットが好きで何か事業やりたいなぁという思いはあったんですけど、ただちょっとネットで稼いだぐらいで、これが何十年も続くビジネスには当然ならないだろうと。あとは当時、起業するハードルも高かったんですよね。自分で何かやるのもまだちょっとテーマも決まらないし、とりあえず将来事業をするための勉強をしようと。
水野:就職されて、証券会社ではどんなことをされてたんですか?
小泉:投資銀行部門で、企業のM&Aや株式の上場を担当していました。これから成長する企業にアドバイスして「企業価値」を上げていく。2年目でDeNA、3年目でミクシィの上場にも携わって、その時に成功する企業をたくさん見てきたのがその後の経営にも役立ちましたね。
水野:小泉さん自身、エンジェル投資家としても色々な会社にも投資されてるじゃないですか。
小泉:はいはい。
水野:投資する時の「視点」って、学生時代の原体験や儲かる儲からないといったビジネス面での「気づき」以外に、この会社は何か世の中にインパクトを与える、影響を与える会社なのかみたいな。お金以外の何か違う目的、動機があるような気がして。
小泉:それでいうと『ミクシィ』との出会いが大きくて、証券会社の時に「郵政民営化」の担当になったんですね。10年10兆円の巨大プロジェクトで、会社としては出世コースに乗せてくれた感じだったんです。でもそのプロジェクトをやっているうちに、これは自分にとってやる意味があるのかっていうのをずっと考えてて。
水野:はいはい。
小泉:決まったレールの大きい案件をやるよりはミクシィのように「次の未来をつくる、このレールの先にある会社」つまり、社会にインパクトがある会社をつくりたいって思ったんですよね。
水野:なるほど。
小泉:DeNAさんやミクシィを最初に担当した時、DeNAさんなんかまだ社員50人ぐらいとかで、ミクシィも社員10人ぐらいだったんです。で、その2社がどんどん大きくなっていくわけですよ。
水野:すごい勢いで
小泉:そうですそうです。SNSがない頃にスタートしたミクシィは、コミュニケーションのパターンや情報発信、コミュニティ形成において、「個人が発信できる」という新しい生活様式を作って衝撃の「ゲームチェンジ」を起こした。個人が強くなる、エンパワーメントされるようなサービスは、携わっていて本当に面白かったんです。
水野:ミクシィが社会の中にどんどん受け入れられていく、広がっていく現場のど真ん中にいらっしゃって、率直にどのように感じていたんですか?
小泉:感覚としては1つの町を運営している、町というかコミュニティですね。何かバーチャル上の「都市」を運営してる感覚で、当時はMAU(マンスリーアクティブユーザー)が2000万人とかいたんですよ。
水野:いやいや、凄いですね。
小泉:コミュニティは300万コミュニティもありましたから(笑)
水野:300万!?
小泉:そこに毎日みんながアクセスして、新しいコミュニティがどんどん作られていく。本当にみんながそこで生活してるみたいでしたね。
路上ライブで感じた『大きな変化』
水野:「ミクシィ」が一般化した頃って、まだ僕たちがインディーズからメジャーに入るかどうかの時期で、まだ路上ライブをやってたんですね。ホームページとかも発達してない頃だったんで、会った人にしかチラシを渡せなくて「路上の限界」とかも感じてたんですよ。そしたら「ミクシィ」がでてきて、ファンの人が自分の好きな曲のコミュニティやメンバーごとのコミュニティを作って、僕らがファンクラブを作らなくてもファンのコミュニティが勝手にできてたんです。ライブ情報を交換しあったり、僕らが宣伝しなくても宣伝してくれる。今までの形が一気に変わるぐらい、かなりインパクトがあったのを覚えています。
小泉:それまでの「情報の流通」は、発信者と受信者が一方通行だったんですよね。それこそミュージシャンが発信して、それをさらにメディアが発信するしか方法がなかった。でもファン自身が発信して小さなコミュニティがどんどん出来上がり、多重構造化するコミュニケーションが爆発的に広がりましたね。
水野:僕は『キングダム』っていう漫画が好きなんですけど、最初100人くらいだった「飛信隊」が今1万人ぐらいいて、その中にいくつもの「隊」があってそれぞれに隊長がいるんです。音楽ファンの人たちもそれと同じ構造で、色んなチームが出来て、ファンの長みたいな「名物ファン」の方も出てきて勝手に組織体制が作られていくんですよね。
小泉:そうですそうです(笑)やっぱり若い人たちって、自己発信することに飢えてるんですよ。昔は発信することのメリットも分かんなかったけど、自己発信することで承認欲求が満たされる。私が好きだった『いきものがかり』がこんなに多くの人に知ってもらえた。それが本当に嬉しいと。
水野:うんうん。
小泉:でもそれは全く金銭的じゃないんですよ。金銭的じゃない報酬で人々が行動し始めた。
水野:いや、まさにそうですね。
『ミクシィ』も『メルカリ』も小さなサービスが大きな現象になって生活様式を変えてきた。その姿を何度も現場で見てきて、この2つのサービスに共通することってありますか
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