読む『小説家Z』 水野良樹×珠川こおり 第1回:書いているときには映像が流れている。
書いたときの自分の考えや気持ちが変わっていくのがおもしろい。
水野:小説家Zです。小説家のみなさんに、どのように物語を作られているのか、なぜ物語を書いているのか、ざっくばらんに伺っていきます。今日は珠川こおりさんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
珠川:よろしくお願いします。
水野:やっとお会いできました。なぜ水野と珠川さんが繋がっているかと言いますと。珠川こおりさんが初めて出された小説『檸檬先生』という作品。今、重版が続いてまして、もう7刷目ですか?
珠川:はい、ありがたいことに。
水野:すごいですよね。たくさんの方に読まれているこの『檸檬先生』が出版されるとき、光栄なことに帯コメントを書かせていただきまして。執筆当時、18歳。
珠川:そうですね。
水野:もうビックリしましたね。年齢は関係ないかもしれないけど、18歳のひとがこんなことを書けるのかという驚きを持って、ゲラ原稿を読ませていただいて。
珠川:ありがとうございます。
水野:そこからの繋がりでいつかお会いできたらと思っていたところ、7月27日に新作『マーブル』が発売予定ということで。この機会にお呼びできたらなと思いまして、来ていただきました。
珠川:お呼びいただき光栄です。
水野:まずは、たくさんの方々にデビュー作の『檸檬先生』が読まれていると思うんですけれど、いろんな感想の声も返ってきて、あらためてどのような感覚でしょうか。
珠川:なんか不思議な感じですね。自分が本を出すこと自体、あまり想像できてないなかで出版して。いろんな方が読んでくださって嬉しいんですけど、だんだん恥ずかしくなってくるというか。
水野:「意外だな」みたいな反応もありました?
珠川:作品をどう捉えていくか、読むひとによって全然違うのが驚きで。おもしろいなぁって思います。
水野:『檸檬先生』は、「共感覚」というものをひとつのテーマにした作品で。共感覚と言いながらも、それぞれ登場人物たちが見ている世界や感じているものが微妙に違う、そういうところが描かれていましたよね。この作品が読まれていくなかでも、読む人によっていろんな解釈があって、様々な言葉が飛んできたと思うんですが、それによって、また自分の作品が変わっていく感覚はありますか?
珠川:そうですね。ありがたいことに、たくさんの方にインタビューしていただいたときも、インタビュアーの方によって注目する場所が違ったりして。それぞれに「こういう話で、こういうことだと思ったんですけど」と自分の解釈を語ってくれたりすると、「たしかにそうだったのかもしれない」と思ったりして。
水野:なるほど。
珠川:ちょっと時間を置いて読み直したり、他の方から直接コメントをいただいたりすると、書いたときの自分の考えや気持ちが、「そうか、そういうことだったのかもしれない」とか、「そういう考え方もあったな」とか変わっていくのがまたおもしろいですね。
原点が構造なんです。
水野:プレッシャーに感じたりはします?
珠川:編集者さんがいろいろ助けてくださって、いろんなプロモーションしてくださって、「そんなにしちゃって大丈夫なのかな…」って思って。
水野:めっちゃ謙虚じゃないですか!
珠川:ふと自信が湧いてくるときと、めちゃめちゃ自信がなくなっちゃうときと、上がり下がりがすごいので。
水野:もともと小学校2年生ぐらいから物語を書かれていたと伺ったんですけど、そのときは編集者の方とかいないじゃないですか。作品に関わってくるひとが今と比べたらすごく少ない。でも今は、原稿を渡したら編集者の方から感想だったり、ちょっとしたダメ出しだったりが返ってくると思うんですけど、そういうことに対してはどう向き合っていらっしゃいますか?
珠川:書いているときって結構、自分が思ったことがいちばん正しいって思っちゃいがちで。第三者の視点から指摘いただくのは、作品がよりよくなっていくし、持ってなかった新たな視点も得られるのでありがたいです。
水野:なんでそんなに謙虚なんですか!(笑)
珠川:いや、イメージを保ちたいんですよ(笑)。謙虚なひとになりたいんです。「こんなひとになりたい」っていう憧れですよね。なんか恥ずかしい…。
水野:それ言っちゃダメじゃん(笑)
珠川:ははは(笑)
水野:作品を書かれるとき、風景であるとか、描写であるとか、それらは映像として明確に見えているんですか?
珠川:明確に決まってない状態で始めることが多いんですけど、書いているときには映像が流れているんですね。その映像をそのまま書き起こすこともあれば、「こういうことだろう」って自分で解釈を加えて書くこともあって。作品を書くとき、基本的には映像が先行していると思います。
水野:『檸檬先生』と『マーブル』でテーマは違うんですが、拝読してすごく思うのは、『檸檬先生』も『マーブル』も、やっぱり色。視覚、聴覚、触れたときの温度みたいなものが、表現に多く出てくるイメージがあります。文章を書かれるときに、常に五感が使われている感じというか。それが読むほうからすると、生々しく感じたり、理屈で責められてない感じが心地よかったり。
珠川:地の文を書くのがすごく苦手だから、そういうものに寄りかかってしまっているというのもあります。地の文自体も、寓意もどきというか、構造のようなものというか、そこは気にしたいなと思っていて。というのも、実は私、本はあまり読まないで来ていて。
水野:はい、はい。
珠川:小学生の頃は児童書ばかりでしたし。本格的に近代・現代文学に触れる機会は、高校受験のために通っていた塾とかで。国語の授業でやるじゃないですか。そうしたら塾の先生が、「小説はこういうふうに読むんだ」って構造を教えてくれて。
水野:なるほど。
珠川:原点が構造なんです。だから構造から成り立つものをつい気にしがちで。あとは、詩とか綺麗な表現が好きなので。言葉の発音だったり、言葉の形・見た目だったり、その言葉やモチーフ自体が持つイメージだったりを活かしたくて、そういうかたちになっているのかなと思います。
モチーフそのものが想起するイメージ。
水野:今、珠川さんがおっしゃったとおり、たとえば「檸檬」って言葉が出たとき、あの果物の物質としての”レモン”以外のイメージ。匂いとか、その”言葉以上のもの”がふわぁって香る気がしていて。それは僕、歌を書くときによくイメージするんですけど。珠川さんの作品は、そういう”言葉以上のもの”が立ち上がっている。そこがすごく魅力的なのかなって思います。
珠川:モチーフそのものが想起するイメージがやっぱりあると思っていて。それもひとによってちょっとずつ違うとは思うんですけれど。そこは自分が思ったイメージを基本にして、あとは美術史とかで出てくる、絵画のモチーフとか、アトリビュートとか、そういうのを調べて使ったりもしますね。
水野:いろんなインタビューで、「構造から書く」っておっしゃっていて。構造と聞くと理詰めな感じもするけど、僕らが「食べる」のは、そこにくっつけた肉みたいなもので、もう少し生々しい。むしろ構造からスタートするからこそ、よりそこにまとわりつくイメージが、肉厚になっていくのかもしれないなって、今お話を伺っていて思いました。あと…、あ、僕ばっかり喋っていますね(笑)。
珠川:いえいえいえ!
水野:「モチーフに対するイメージがひとそれぞれ違う」とおっしゃったけど、100人読み手がいたら多分、100人違うものをイメージしていて。だからこそ、100人それぞれの価値観にフィットするというか。だから珠川さんの作品は、多くのひとに楽しまれているのかなぁなんて思いました…って、何をわかったようなことを。
珠川:でも、本当にそのとおりだと思います(笑)。
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