『小説家Z』 水野良樹×宮内悠介 第3回:私を発見してくれたSF。
犯人当てゲームが流行っていたんです。
水野:物語の立ち上げ方の話をずっとしてきたんですけど、一方で、どうして小説を書いているのでしょうか。宮内さんって実はいろんなことをされていて。『OTOGIBANASHI』でご一緒させてもらったときも、やはり音楽にお詳しいイメージがあって。宮内さんは趣味っておっしゃられるところもあると思うんですけど、たくさんのことをやられていて。小説が宮内さんを惹きつけるのは、どういったところなのでしょうか。
宮内:私は高校生くらいまで作曲家志望だったんですよ。音楽を志すみなさんが読んでいるような、和声法とかの本を一生懸命に読んだりして。でも高校時代の中頃、ミステリー好きな友だちがいまして。Mくんとしておきましょう。Mくんからミステリーを何冊か借りて読んでみたらとてもおもしろかった。学校に図書館があったので、ドストエフスキーとか、フィリップ・K・ディックとか、勢いで拾っていって、気がついたらハマっていた。
水野:もうずぶずぶ沼に入っていって。
宮内:ですから何がきっかけかというと、自分でもはっきりしないところがあります。まぁ結局自分の興味の対象がそっちに向かっていって。あと、ちょうど隣のクラスで、犯人当てゲームが流行っていたんです。ミステリーの問題編だけみんなに配って、最初に真相を当てたひとに学食のカレーを1杯おごるという遊び。それがおもしろそうだなと思いまして、自分もやってみたらおもしろくて。このあたりから小説を書き始めていきます。
水野:そこから書くとこに入るんですか。読むって行為から、自分で書くってところのハードルがはたからみると高いように思えるんですけど。書いてみて、「俺は書けるかもな」って思ったのは、どういうところからなんですかね。
宮内:犯人当てですから、もちろん問題編は配るわけですけれども、「書けるかもな」とはさすがに最初は思いません。ある程度ものにするために、文体を練習してみたり、様々なジャンルを読んでみたりするわけです。ただ、私は結構、初期衝動でまず作ってみるという性格でして。曲作りも、小学校2~3年生の頃に電池で動く小さな電子オルガンを買ってもらいまして。4和音ぐらいしか出なくて。その4和音で頑張って曲を作ってみたり。
水野:まずやってみるんですね。
宮内:なんとなくやってみないと気が済まない。そういうところはあります。
1次選考で落ちる投稿生活。
水野:小説を書き始めて、そこからこれでご飯を食べていこうとか、小説家と呼ばれるものになっていこうって、またハードルがあるような気がするんですけど。作家の道に進むことに迷いはなかったんですか?
宮内:そのへんは若気の至りといいますか。書き始めたのが高校2年生ぐらいですから。いっそ職業にしてみようと、高校3年ぐらいの頃には思っていました。ただデビューが30ですので、そこから長い迷路があります。
水野:下世話な質問で恐縮なんですけど、諦めなかった理由というのは? それこそ学生の頃に小説家を志して、でも普通に就職されて、諦めている方もいらっしゃると思うんですけど。
宮内:格好つけるならば、自分を信じていたとか、どうしても訴えたかったことがあったとか、そういうことになると思うんですけど。私の場合、ほとんどただの意地でした。
水野:やってやるよと。転機みたいなところはあったんですか? うまくいきそうみたいな。ジャンルを変えたとか、この賞を取ったとか。
宮内:私の場合、もともとミステリーを書いていたんですけど、それを新人賞に送っても1次選考で落ちることを繰り返していて。投稿生活を繰り返していくと、だんだん病んでくるわけです。本の背表紙を見るのも嫌、みたいな。
水野:はいはい。
宮内:そのときにちょうどその頃、元気になり始めていたSF小説を読んでみたら、とてもおもしろいなと思って。で、そのアンソロジーの最後に原稿募集がありましたので応募してみたら、ひょいと最終選考に残って。選考委員特別賞みたいな形でなんとか世に出ることができました。ですから、最初はミステリーを書いていたんですけれども、何故か私を発見してくれたのはSFの形であったということで、SFには足を向けられません。
リアリティラインの作り方。
水野:他のジャンルに比べてSFというジャンルが宮内さんに合っていたというのは、ご自身で考えるとどのようなところが、そういうポイントになっていたと思います?
宮内:どうでしょう。自分がSFに向いているのかどうか、それは後世の判断を待たなければ。
水野:これ、専門の方がとくにおっしゃることですね。
宮内:ただ私の場合、作風的に思索的なところが多いというか。これについてはこう考えているとか、そういった思索の過程を作品に散りばめることが多くて。SFの場合、スペキュレイティブ・フィクションとかよく言いますけど、そういう受け皿があったので。もしかしたらSFを読む方々のなかには、私のような作品を読む受容体みたいなものがあって、そこにハマってくれたのかもしれないと思ったりします。
水野:宮内さんが思索される過程を論理的に表現されるよりも、虚構の世界を立ち上げてもらって、そのなかで登場人物が動いていって、その一連の全過程を読むほうが、「こういうことを主張したいんじゃないか」とか「この作者はこう考えているんじゃないか」とか、伝わりやすいからこそ受け入れられているのかもしれないと思ったりもしました。理解するというか、感じやすい。そこがSFというジャンルのおもしろさというか。
宮内:ええ。
水野:宮内さんが書かれている虚構の世界を、「すごいリアリティあるね」「本当にそういう世界ありそうだね」って言ってしまえる理由が何かと言ったら、描写のすばらしさは当たり前にあるんだけど、そこだけじゃない気がします。その背景にある情報量が、実際の現実世界と同じように豊かである。だからこそ読者はその世界をアクチュアルなものとして感じられるのかなって思うんですけど。
宮内:ありがとうございます。リアリティラインの作り方は大体、客観性と主観性のトレードオフで悩みます。客観性は当然あったほうがいいじゃないですか。ただ、あまり客観的だと今度は読者の方が物語に入ってこられない。やっぱり主観的なパッションもあったほうがいい。でもそれだけだとひとりよがりになってしまう。そのせめぎ合いをまず考えて。で、私が抜け穴的によく使うのは、疑似ドキュメンタリー形式なんですけれども。
水野:すごく多いですよね。
宮内:「私」という謎の記者がいて、その「私」が誰かすら言わないんですけれども、いろんなひとに話を聞いていく。これのいいところは、私がおもしろいと思えるものだけ書ける。繋ぎの部分がいらない。そして、読者の時間を取らずに、おいしいところだけ見せてしまえる。これはまぁある種の抜け穴的なやり方ですけどね。描写は他の作家の方々と比べると、ほとんどしないほうだと思います。
水野:なるほど。
宮内:そのひとがどういう服を着ているとか、外見がどうだったとか、そういうところはあんまり書かないんですよね。読者の方が頭の中で思い描くイメージに勝るものはありませんから。ただ、作品の舞台というか背景の部分は練っていたりします。よくある例えで、氷山は9割水下に沈んでいるみたいな。その部分さえある程度練っていれば、うまくAIのディープラーニングみたいにそこから表層に染み出してくれるかなと期待して書いていたりします。ちなみに私の場合、小説を読んでいてストーリーは結構忘れてしまうんです。
水野:あ、そうなんですか。
宮内:ただ、情景だけはなぜか覚えているものなんですよね。みんなそうなのかはわからないんですけれど。ですからとにかく情景は入れておこうと。それで私が物議を醸した例としましては、なぜかアメリカの砂漠に行って、そこでわざわざ囲碁盤を広げて碁を打つっていう話があって。これは必然性がまったくないんですよ。なんで? って話なんですけども。私自身それを振り返ってみて少し恥ずかしかったりもして。
水野:その情景が見えちゃったからしょうがない。
宮内:ただ絵になりそうっていうそれだけなんですけれども。こういうことも案外バカにならないのかもしれないなと思ったりします。
水野:情景というか、映像的なものが宮内さんのなかではキーワードになっているんですかね。表現は言語なんですけど、言語化される前の原液というか。元になっているものは、宮内さんの頭のなかでフラッシュバックしていくような映像の断片であったり、風景の断片であったり、そういうものなんでしょうかね。
宮内:基本的には最初にお話しした4つなんですよね。「推し」、「情景」、「アイデア」、「テーマ」。ただやっぱり小説っていう表現手段から考えると、「情景」はひとつの武器になると思います。
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