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湖に燃える恋・第21話「恋の空白……」
病室のドアを開けるとそこには確かに俺の愛する手の届かない明美がいた。上半身を起こしたベッドの上でマンガの週刊誌を読んでいた。
「おはよう……明美ちゃん!」
恐る恐る腫れ物に触るように 俺は明美に声をかけた。
「え?荒木さん? まだこちらにいらしたのですか?」
当然、明美はなぜ俺がここにいるのか、把握できていないので不思議そうな顔で返してきた。たまらなくなったのか明美のお姉さんが助け舟を出してくれた。
「明美、あなたはこないだのケガで一部、記憶をなくしているのはわかっているわね?これから言うことを良く聞いてね。」
俺は固唾を飲んだ。
「あなたと荒木君は恋人同士で、お付き合いしていた仲なのよ。」
明美は物凄く驚いた顔をして、俺の顔を覗いた。
「え~! うそでしょ?だって私と荒木さんは会社の取引先の
営業担当者で私はその取引先のただの事務員よ!」
「だから、あなたはその記憶がなくなっているのよ。あなたが高校時代に付き合っていたバレー部の吉村くんのことは覚えている?」
「・・・・だって、私、そういう人とつきあったことがないし・・・そうだ…高校時代の記憶さえも思い出せない・・・・。」
「でしょ?それと同じ、あなたは荒木くんとの記憶もなくなっているのよ、わかる?」
「でもその吉村さんという人の記憶は全くわからないけど荒木さんのことは覚えているわ。」
「それは……きっと荒木くんがあなたにとって大切な人じゃなかったからじゃないの?」
「そんな……そんな記憶のなくなり方って……。」
明美は困った様子であった。
「明美ちゃん、俺が君と何もなかったら、君のことはきっと芹田さんとしか呼んでいないと思う。少なくとも明美ちゃんいう親しげな言い方は君と恋人という関係で繋がっていたからだよ。わかってくれる?」
「……そんな、いっぺんに、急にいろいろと言われても私、どうしたらいいのか、わかりません……。」
明美の表情がだんだん強張ってきた。
「明美、いきなりそんな事を言われても今は心の整理がつかないと思うよ。ただ、これはまぎれもなく事実なんだということだけ今は覚えておいて! ただの取引先の事務員と営業マンの関係だったらこうしてわざわざ釧路から車を走らせる人なんていないわよ、わかるでしょ?」
「……うん、確かにそうだけど………。」
明美は俺の顔を恥ずかしそうに見つめていた。
「明美、今、荒木さんをどう思ってる?」
お姉さんはかなり強引に、いやかなり焦っているかのように明美に誘導尋問をさせていた。
「どう思うって………それは男性としてどう思うかってこと?だって……男の人を好きになるとかという気持ちは今までもなかったような気がするし、ただ、荒木さんは悪い人ではないのはわかっているし・・・・・・。」
「明美ちゃん、いいよ、焦らないで!俺が同じ立場でこの人を好きになれって言われたって、それは無理な話なのはよくわかるよ。今日はその事実だけわかってくれるだけでいい。
今すぐ思い出して欲しいとか、俺の事を好きになってくれと言ったって簡単にできっこないよね……だから今日はこのまま帰るから…。
ごめんね、何もわからないのに君の心にまるで土足で踏み込むようなまねをして…早く退院できるといいね……。」
「……荒木さん、すみません、突然の事だったので何を言われても心の整理がつきません。でも、事実なのであれば教えてください。私たちって…
いわゆる、その・・・・・男女の関係になっていたということなのですか?」
いきなりの質問に俺は正直、戸惑った。
素直にそれを言ってもいいものなのか?
しかし明美が聞きたいというのだから…
迷いは消えた。
お姉さんの前だったが俺はしっかりと首を縦に振り、それを肯定した…。
明美は驚きを隠せない表情をし……やがてうな垂れ……そして泣き出した。鳴き声は大きくなり嗚咽になった・・・。
「明美ちゃん、大丈夫?」
俺がそばに寄ろうとしたその瞬間
「来ないで!汚らわしいわ!もう帰って…帰ってよー!」
泣きじゃくりながら、明美は精一杯の声で俺に罵声を浴びせた。
澤田先生の言う通り、このような状態ではもうこれ以上何を言っても逆効果だ。そう思って俺はひとり静かに病室を後にした。取り乱している明美の事はお姉さんがきっと何とかしてくれると思う。
病室を出ると、そこには澤田先生が立っていた。今までの一部始終を見ていらしたそうだ。開口一番、先生は
「荒木さん、これで良いです。今はいきなり、全ての事を受け止めることは不可能です。特に肉体関係があったということは、今の彼女にとって見れば自分が寝ている間にレイプされているようなことを告白されたようなものですから……でも大丈夫です。
あとは私がフォローします。辛かったでしょう?今日はゆっくりと休んでください。戦いはこれからですから・・・。」
澤田先生はさすが精神科の先生だ、俺の事までしっかりと気を遣ってくれた。とても救われた。
俺は家族と、会社の上司に電話をしてあと何日かここにいる事を伝え、会社にはお盆休みをあと2日ほど追加してもらった。
とは言うものの、これからどうしていけばいいのか、まだ全く見えないまま、不安な気持ちだけが大きくなっていた・・・。
〜第22話に続く〜