僕は自由の定義を見直すことにした
ずっと求めていた自由というものが、実は自分の中で曖昧で、一般的に言う「時間とお金が好きに使える状態」だと思っていたのだけれど、実は自由の定義を「時間とお金が好きに使える状態」としていることが苦しみに繋がることに気がついた。
この定義の元で自由になるには、ある程度自由になるお金がなければならない。
しかしブッダの心はどうだっただろう?小さな子供の心はどうだろう?
自由になるお金がなくても自由だったのではないだろうか?
僕は自由の定義を見直すことにした。
自由とは「あらゆる状況にOKだと思える心の状態」だと思った。
自分自身を「こうじゃなきゃいけない」と縛ることはなく、良い時も悪い時もOKだと思える状態。自分以外の存在にも「こうじゃなきゃいけない」と考えることはなく、周りが良かろうが悪かろうがOKだと思える状態。
もはやそうなると良いも悪いもない。全てがOKだ。
常に今がOKな状態。満ち足りた状態。それが自由だ。
こう定義すると今この瞬間にでも自由になれる。
今までの自分の考えを全て捨てて、今この瞬間、自分や自分を取り巻く全てのものにOKを出す。それで一瞬にして自由になれる。
向上心はいらない。
立派な人間になる必要もない。
堕落していてもいい。
ワガママでもいい。
大切なのはその状態に対して自分がOKを出すことである。
今までだったら自分が嫌だなと思っていたこともOKになる。
人間は実は空だから、その気になれば過去は全て捨てられる。
自分の考えも全て捨てて別の人間として一瞬に変われる。
変わると決めて誰も知っている人がいない土地に行けば、より簡単に違う人間として生きることができると思う。
あぁ、僕はすでに自由だったんだ。
自分がどうあるかだけで簡単に自由になることができるのに、世間一般のいう自由が自由だと思っていたために自由じゃなかったんだ。
これが僕にとっての自由だけど、自由の定義は人それぞれでいいと思う。
大切なのは心が自由であり、世界と調和して生きていける、苦しまずに生きていけるということだろう。
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