noteを始めた2016年の僕へ
あれから5年が経ったのか。
ここでnoteを書きはじめた時、君は手に入ると思っていたゲーム開発による成功が思わぬ破綻をして失意のどん底にあったね。救いを求めるように書き始めてたね。
もう一度読み返してみて一番ここが気になった。
人からの賞賛を求めている自分に。人の顔色をうかがって生きている自分に。周りにどう思われるかを異常に気にして生きてきた自分に。
このあと「嫌われる勇気」を読んで人目を気にしないで生きていこうと決意していたね。
確かにあのあと人目を気にしないで行動できるようになっていたと思う。
あの記事を書いた数カ月後、裸足で渋谷をランニングをするんだ。
その時「もう普通に生きなくていいんだ!」と心のバリアが剥がれるような体験もする。
じゃ5年経った今どうかって?
残念ながら根深いんだ。この問題は。
今でもたびたび同じ問題にぶち当たっている。
おととしくらいは稼いでいる人と全然稼げない自分とを比較してツラくなったりしてた。
そして今も自分を理解してほしい、共感してほしい、評価してほしいという我欲と向き合っている。
でも進歩した点もある。
瞑想を続けてきたおかげで我欲そのものに心地悪さを感じるようになったということだ。
我欲が他人との比較、認められたいという気持ちを生み、ときに自分の心にウソをつくようなことにつながるとわかったこと。
背伸びしちゃったり、いいカッコしようとしちゃうのは我欲があるからだとわかったこと。
今この我欲と真剣に向き合ってる。
君がnoteを書きはじめたあと、僕はブログを始め、ツイッターもどんどんやるようになり、YouTubeもはじめた。
変わった体験をして、その時の出来事や心情を書く。YouTubeではビデオにする。
でもね、ここ2ヶ月ほどはまったく書けなくなった。撮影もできなくなった。発信できなくなった。
背伸びする自分、いいカッコをしようとする自分、都合のいい結論に持っていきたいと思っている自分が耐え難くなってきたからだ。
ブログやYouTubeをする間、他の人のメディアを手伝ったり、ブロガー・ライター・アフィリエイト業界を垣間見たりした。
そこでわかってきたこと。
メディアというものは人が作っている。
だからどうしてもウソが事実を捻じ曲げたり、利益を出すために時にはウソをつくし、稼ぐために情報として信憑性のないものを発信することがある。
最初は「ひどいなぁ。なんてやつがいるんだ」と思っていたが、自分の中にも同じような醜い部分があって、人を指摘するような資格がまったくないと思った。
そしてこの自分を大きく見せたい、かっこよく見せたい、評価してほしいという気持ちを払拭して、「悔しいけどこれが今の自分だ!」という発信をしていきたいと思っている。
それがなかなかできなくてこの2ヶ月四苦八苦してた。
そして今がある。
読者からしたら「くそだせぇ」と思われても、自分の気持にいつわりなくできる発信なら胸を張れるんじゃないかと思っている。
そしてそんな発信ができた自分はクソダサくはないと思う。めちゃくちゃかっこいいと思う。
5年経っても大きな進歩がなくてごめん。
でも少しずつ良くなっている。
瞑想のおかげで、裸足のおかげで、断食のおかげで、菜食のおかげで少しずつだけど良くなっている。
かっこいい自分になってきている。
周りがクソダサいと思おうが自分はそうは思わない。
自分の評価は自分でする。
そういう自分になっている。
そういう意味では僕は君の期待している自分になれているのかもしれない。
この5年間は無駄じゃなかった。
俺めちゃくちゃ進歩してるわ。
またメッセージ書くかもしれない。
きっとその時はもっともっとなりたい自分になっていると思うよ。