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海水浴発祥の地「二見浦」で泳いでバーベキュー

記事に興味をもっていただき、ありがとうございます。
京都の治療院「あかとき庵」の小松です。

7/22、23は実家がある伊勢の二見浦に家族と一緒に帰省していました。

二見浦の海水浴場は、明治15年に日本で初めて開設された公設海水浴場で「海水浴発祥の地」

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海水浴といえばレジャーをイメージする人が多いと思いますが、歴史を紐解くと、

二見浦海水浴場の歴史
日本第一号の国指定海水浴場
明治15年(1882)、時の内務省衛生局長・長与専斎により禊場である立石崎が海水浴場として開設された、日本第一号の国指定海水浴場である。当時の海水浴場は医療が目的の浴治と言い、男女別に4つの浴槽を設け、「海水に直接浸かる冷浴」と「海水を温めて入浴する温浴」が始められた。明治17年(1884)、海水浴場は立石浜から二見館前に移される。そして、二見館が海水温浴場を開設した最初の旅館となった。
その後、明治24年(1891)夏、後の大正天皇・明宮嘉仁親王が3週間余りによる賓日館滞在により二見の地名と海水浴が知られることとなった。また、日清・日露戦争の疾病兵療養地として二見浦は多数の兵士を受け入れることになり、各旅館が潮湯治として海水温浴場を造ったことが、現在の旅館街の基礎と発展に繋がっている。
賓日館HPより引用

このように、医療が目的ではじまりました。

そして私の曾祖父さんの代から海水浴場を二見浦でしていて、今は私の叔父さんが海水浴場とバーベキュー場を経営しています。

今回の帰省では、ここで家族とバーベキューをしたり海水浴をしたりと、束の間ではありましたが楽しい時間を過ごしてきました。

私は東京の品川で生まれた後、0歳〜6歳、小6〜高校卒業までのおよそ12年間を二見浦で暮らし、夏は海水浴場を手伝い海で泳ぐ過ごし方をしていたので、たくさんのことをここの海で学びました。

小1の息子も二見浦の海が好きで、毎年行くことを楽しみにしています。

海に行くと自然と五感が刺激されるので、子どもの感受性を育む時間にもなります。

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今や二見浦に住んでいる年月よりも京都に住んでいる年月の方が長くなりましたが、「夏は二見が最高だな」と私を育ててくれた浜を歩きながら思ったのでした。

追伸
叔父が経営しているバーベキュー場は、のんびりと海を眺めながらオールシーズンバーベキューを楽しめます。ぜひ行ってみてください!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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