
第8回:ジャズ&ブルース、そしてロックンロール野郎ども
第8回目の特集は「ジャズ&ブルース、そしてロックンロール野郎ども」です。
ジャズの起源であるニューオリンズのジャズを想起させるライ・クーダーのカバー楽曲から、1920年代のブラインド・ウィリー・ジョンソンのブルース、細野晴臣さんが近年カバーしたフレディ・スラックの50年代ブギウギ曲、独自のロックサウンドを開拓したローリングストーンズが元々愛好していたリトル・ウォルターのブルース曲など、ロックのルーツとその年代を感じさせる楽曲を端折ってご紹介します。
[今回ご紹介する楽曲]
1.Big bad bill is sweet william now / Ry cooder
原曲は1929年に録音されたエミット・ミラーの作品。軽快なサウンドが心地よい一曲です。このカバーバージョンは1978にリリースされたライクーダーのアルバム「Jazz」に収録されています。
原曲を作ったエミットミラーという人はミンストラル・ショウの芸人さんだったようです。ミンストラル・ショウというのは19世紀末から20世紀前半に存在した舞台で行うショウの事で、歌や踊り、寸劇やコメディを行う当時のエンターテインメントの事。
この曲はクラリネットや管楽器を用いたアレンジがニューオリンズ・ジャズの様な響きを持っています。アメリカのニューオリンズはジャズが生まれた土地として知られています。
どういう経緯でジャズが生まれたかと言いますと、19世紀半ばにアメリカ南北戦争が北軍の勝利で終わり、アメリカ南部にいた南軍が撤収します。その際、南軍がマーチングに使っていた管楽器や打楽器がニューオリンズで沢山放出されました。街に溢れた楽器達は格安な値段で売買されて、それまで南部で奴隷として扱われていた人々が解放されると共に、軍隊が置いていった楽器を手軽に入手できるようになりました。
そのため、ジャズで使用される楽器編成は、元々軍隊がマーチングで使っていた楽器という歴史があります。
(現代のドラムキット編成のルーツ、足でバスドラムを叩き、手でスネアを叩くというスタイルもこの時期に生まれました。ディーディー・チャンドラーという人が初めて行った元祖と言われています)
南北戦争が終わり、解放された奴隷が仕事を求める中で酒場やダンスホールで音楽演奏を始めたのがジャズの発生につながっていったという事のようです。ジャズの最初期はニューオリンズ・ジャズと言うのですが、この曲を聴いていると、そういう歴史も彷彿とさせます。
ライクーダーは元々シンガーソングライターやセッションギタリストでもあり、スライドギターの名人で、沖縄やインド、キューバなど様々な土地のミュージシャンと一緒にアルバムを作っています。映画音楽も数多く手がけています。音楽ドキュメンタリー映画「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」の音楽もライのプロデュースによるものです。
2.It’s nobody’s fault but mine / Blind Willie Johnson
ブラインド・ウィリー・ジョンソンは1920年代に活動した盲目のギタリストで、宣教師でもありました。
スライドギターによる独特のサウンドと、ラウドなボーカルが特徴で、ゴスペルやブルースを感じさせる内容になっています。教会でこのような歌を歌い説教に近い形で弾き語りの演奏をしていたのでしょう。この時代はコードのつながりを使って曲を作るというより、スケール、音階の組み合わせで作曲をしているように曲から感じられます。
この曲は後にイギリスのロックバンド、レッドツェッペリンがカバーしているのですが、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの演奏とボーカルスタイルは、後のブルースやロックに影響を与えています。
アメリカで70年代にボイジャー計画というのがありまして、太陽系より外の調査をするために探査機を打ち上げたのですが、その際に、宇宙人へのメッセージとして銅板製のレコードも載せられたそうなんですね。
(地球外生命体に解読される事を期待して探査機の中にレコードが収納されている)
そのレコードには地球上の様々な音声や、ザトウクジラの歌声とか、ベートーヴェンやモーツァルトの楽曲が録音されているのですが、それらと並びブラインド・ウィリー・ジョンソンの楽曲「Dark was the night,cold was the ground」という曲も収録されているそうです。
今現在もそのレコードを載せた探査機は宇宙を漂っているそうです。
3.The house of blue lights / 細野晴臣
この曲はフレディ・スラック & エラ・メイ・モース作の1946年作品で、1955年にリリースされたチャック・ミラーのカバーバージョンがヒットしたのだそうです。
オリジナルは作曲者のスラックがピアノを弾き、共作者のレイがエラ・メイとおしゃべりをする。という内容で、チャックミラーのカバーバージョンはテンポが速く軽快なアレンジとなっています。
ここでご紹介するのは細野晴臣さんが2013年にリリースしたアルバムheavenly musicに収録されているカバーバージョンです。
細野さんは60年代から活躍するミュージシャン、プロデューサーです。
1969年に(小坂忠さんや松本隆さん、柳田ヒロさんらと)サイケデリックなバンド、エイプリルフールを結成。エイプリル・フールではボブディランのカバーやサイケデリックなロック、ブルースを作られてます。
その後、はっぴいえんどやYellow magic orchestra(YMO)等のグループ活動や、ソロではカントリーやフォーク、ソウル、ワールドミュージック、テクノ、アンビエントなどの沢山のジャンル、サウンドスタイルを制作されています。
細野さんの演奏は幾つかのフェスで何度か観ています。10年くらい前にno nukesというイベントがあり、そこで細野さんバンドの生演奏ライブを観たのですがすごくかっこよかったです。その時はこの曲の様なアコースティック・スタイルのものが多かったです。
4.Hate to see you go /The Rolling Stones
オリジナルは1950年代のミュージシャン、リトル・ウォルターが歌っているバージョンです。ここではローリング・ストーンズがカバーしています。
ローリングストーンズが2016年にリリースした全編ブルースカバーのアルバム「Blue&Lonesome」に収録されています。
このアルバムはブルースクラシックと言える楽曲で構成されていて、全曲がブルースのカバーとなっています。
そもそも、バンド名のローリング・ストーンズというのは、シカゴブルースの大御所であるマディ・ウォーターズの楽曲「Rollin' stone」から取られています。つまり、ブルースから影響を受けて始められたバンドなんですね。
バンドとして始動する最初期に、彼らがバンドでライブ出演する際にまだバンド名が無かったので、電話口でライブ主催側からバンド名を尋ねられました。その際、メンバーのブライアン・ジョーンズが自室の床に置いてあったマディ・ウォーターズのレコードに書かれていた「Rollin' stone」という文字を見て、とっさに”俺たちはローリング・ストーンズだ”と主催者側へ語ったと言われています。
「イギリスの白人の少年たちがアメリカ南部のミシシッピ・デルタの音楽と、シカゴのエレクトリック・ブルースに興味を持った」というストーリーが、ローリングストーンズの始まりです。
「今の時代で言うなら、郊外に住んでいる白人の若い子たちがヒップホップをやるようなものさ」とリーダーのミック・ジャガーは語っています。
[Happy Sad / 草野洋秋 プロフィール]
https://www.happysadsong.com/
Happy Sad ホームページ:
- HAPPY SAD / Sound designer Hiroaki Kusano (happysadsong.com)
作曲作詞、歌、楽器演奏、録音、ミックスまで一人で行うというスタイルで活動する サウンドデザイナー/シンガーソングライター。2013年、表参道ヒルズにて開催されたMTVとLenovo 主催のクリエイターコンテスト「CO:LAB」にて、自作曲 「Everyday」が国内DJ部門優勝/ファイナリストに選出される。
並行してゲーム作品のサウンドクリエイター職として多数の作品でサウンドディレクションとサウンド制作に参加している。
(Netease Games, Funplus, NHN Playart株式会社, 株式会社スタジオキング,
株式会社ノイジークローク等のゲームパブリッシャーやサウンド制作会社においてサウンドディレクター/サウンドデザイナーとして数多くのコンテンツ制作に関わる)
近年では、CM広告音楽やTV番組BGM、海外アーティストの楽曲リミックス制作等にも参加。BGMや効果音の制作、映像に対して音を付けるMA作業、そして作品全体のサウンドイメージを提案 / 映像側や企画側の要望をヒアリングして音に落とし込むサウンドディレクション業務まで包括的に対応。