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なぜ海外を目指すのか

私はどこに行くのか

私の写真作品の発表の場は海外が中心になっています。関係を構築したキュレーターやギャラリストのおかげで、仲間とともに世界のどこかで毎年展示することができています。世界の人々と自分の作品を通じてコミュニケーションが取れることに大きな喜びを感じています。
なぜ国内中心ではないかということを説明して行きたいと思います。
日本の特色として、多くの写真コンテストが開催されています。特にカメラメーカーのほとんどが集中する日本においては、それに伴う雑誌などのメディアも多くのコンテストが開催されています。その数もたぶん世界一ではないでしょうか。入賞すれば商品や賞金がもらえます。私も昔コンテストに何度も応募し入選させていただきました、ただし何度かそれを繰り返すうちに「これを続ける意味は何か、これからどこへ行くべきか」という疑問にぶち当たりました。

日本で行われているコンテストは「メーカーの優秀な機材を使うことで上手く撮れましたでしょう選手権」に思えて来たのです。それは仕方ないことで、メーカーも営業的にメリットのないことはできないのです。しかもアーティストを育てようなんて、時間がかかり結果の予測ができないプログラムも作れないのです。その結果、コンテストに応募する人は使い捨てされるしかないのです。そこには私の表現者としての未来はあまり無いように思えたのです。

人類の記憶

海外では「写真」がアートの中でちゃんとした地位を築いているのです。また芸術作品としての写真は日本に比べ圧倒的な取引量を誇ります。
海外の美術館のキュレーターと話をしていると、写真作品そのものよりそれを創る「個人」に予想以上に興味を持っていることに気付きます。アーティストの生き様、哲学、思想に注目しています。「優秀な機材でプロのように上手く撮れたでしょうコンテスト」とは視点が全く違うのです。

そして将来性があるかもしれない、と思うと展示につながったり、奨学金でアーティストに投資をする場合もあるのです。子供たちへの写真教育プログラムも充実しています。海外の美術館は本気でアーティストの育成に取り組んでいるのです。そしてそれらのアーティストが創作した作品の一部は、人類の貴重な創造物として収蔵し、教育に役立てながら歴史の中に記録していくのです。これが美術館の大切な役割のひとつなのです。

帰れ!

これは私にとって衝撃的で魅力的なことでした。そのことを知り始めた10年前からファインアートフォトの創作に本格的に取り組み、わずか2年くらいで仲間とともにフランス、アルルのフォトフェスティバルに行き自分の作品を売り込みに行きました。いよいよファインアートフォトの世界に突入したのです。当然初めから上手くいくはずがありません。今のように海外で作品を展示するなんて遠い夢のままでした。

あるキュレーターからは「日本人のお前がここに何しに来た、帰ったほうがいい」とまで言われる始末。正に武者修行でした。今思えば「私にとってアートとは?」に対する明確な答えを持っていなかったからです。今なら「帰れ」と言ったキュレーターに十分反論できると思うのです。

(続く)


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