生気のない通行人
東京などの都市部を歩いていると、生気のない通行人に出くわすことが多々ある。
いや、都市部に限った話ではなく、少しおかしいなと思う通行人は昔から一定数いる。
挙動不審な人。
やたらガンを飛ばす(ジロジロ睨む、メンチを切る)人。
表情のない人。
ガンを飛ばしてくる人は昔より減った気もするが、いないわけではない。
一方、表情のない人は増えた気もする。
疲れて表情が出ないとかではなく、普通ではないレベルで極端に表情がない、そんな人をよく見かけるのだ。
(あくまで私の肌感覚だが)
そのような生気のない通行人とすれ違っても、私は普通に歩き続ける。
通行人によっては、一瞬警戒することもあるが、私はそのような人とは関わらない。
中学~高校時代、他人からガンを飛ばされたり絡まれたりしたとき、私も大人気なく喧嘩を買ってしまったことはある。
また、挙動不審な人や表情のない人を、ついついジロジロ見てしまったこともある。
が、そんなのは子供のやることだ。
今はそのような生気のない人と出くわしても、深く考えず歩き続ける。
そもそも「生気のない=悪い」というわけでもない。
挙動不審な人。
やたらガンを飛ばす人。
表情のない人。
彼らにも何かしら事情はあるのだ。
私はこう思うようにしている。
断っておくが、私は生気のない人を下に見ているわけではない。
やたらガンを飛ばしてくる人、ジロジロ睨んでくる人は、何かしら不安を抱えている。
表情のない人も、何かしら事情はある。
また、挙動不審な人は、精神的な理由等によるものかもしれない。
私はそういう人を下に見たくはない。
人にはいろいろな事情があり、上から目線で判断するのは野暮だ。
詮索するのも気にするのも野暮だろう。
そういう人が通行人として前から来ても、私は深く考えずすれ違う。
こんな生きにくい世の中だ。
生気の一つや二つくらいなくなりもする。
私も含め、大多数の人間は何かしら生きづらさを感じるはずだ。
ただ、それが表に出にくい人もいる。
私もそうだ。
一方、表に出やすい人もいる。
挙動不審な人、やたらガンを飛ばす人、表情のない人など、該当する人は多いだろう。
(もちろん、やたらガンを飛ばす人は普通に失礼であり、今すぐ改善すべきであるが。)
生気のない通行人とすれ違っても、特に気にしなければいい。
気にするだけ無駄であるほか、そもそも事情を詮索するのは野暮だ。
同時に、どんな場合であれ、赤の他人を下に見ていいことにはならない。
生気のない通行人とすれ違っても、私は普通に歩き続ける。
私も含め、少しでも生きやすい世の中になれば良いと思いながら。
この文章を書いている私自身は、特に何かあったわけではない。
ただ、平和に行きましょ、というだけの話だ。
引き続き気象等に注意しつつ、お過ごしください。