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おもかげ、新年

街を歩いていたら、祖母を見かけたような気がした。

本人は一年前に他界しているのでそんなはずはないのだけど、柔らかそうな白髪やちょっとだけ丸まった背中に見覚えがあって、胸の真ん中がじんわりする。
-ばあちゃんのカケラは、まだこの辺にいるのかなぁ-

祖父を見かけることもある。
ツイードのジャケットを着てきちんと帽子を被り、少し足を引き摺りながら歩く。もうとっくにこの世にはいないのに、硬いシワシワの手の感触まで思い出す。祖父もまた、この辺りにいるのかもしれない。

そして、これもまた不思議な話なんだけど、うちの義両親というのがどこか祖父母に似ている。
厳格なところもあるけど、シャイで文化的で家族愛・郷土愛に溢れた義父(ついでにユーモラス)。料理や裁縫が得意で、信心深く、知性的な活動家でもある義母(祖母よりずっと優しい)。
たまに帰ると、これでもかというくらいもてなしてくれ、食べ物から何からなんでも出てくる。片付けはあまり得意ではなく、「効率」の対極にある「無駄」を含めて、家族をそのまま包み込んでくれる温かさのある家。まさに「実家」。 

祖父母が死んで、こういう実家らしさはもう味わえないと思っていたけど(本物の実家はちょっと違う)、気づけば私は今でも同じようなものを受け取っている。

-私たちは何かを失った時でさえ、本質的には何も失っていないのだ-

私の中にも誰かの中にも、大切な人や記憶や気持ちのカケラはあって、たぶんずっとなくならない。
そういう意味で、みんな他人じゃなくて、きっと繋がっている。それは人間同士だけじゃなくて、空気や水や土や植物、生き物たちも同じ。

そう思ったら、胃腸炎でご馳走が食べられないお正月も、なんだか豊かな気持ちで過ごせた。

今年はどんな年になるんだろう。楽しみだな。また一年、よろしくお願いします。

©︎綿草ひろこ

道草ドローイング


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