帰国後編 | 道の行方
こんにちは、自転車で世界一周をするひろです。今までやってきたことや大きく変わったターニングポイントなどをご紹介します。
今回は帰国後に何をしたのかについてご紹介します。
世界との繋がりと還元
国際交流コミュニティ World Third Place
世界冒険から帰国して日本で何をやろうか考えていた時にまずは海外との密接な感覚を持ち続けたいと考え、国際交流コミュニティ World Third Placeを構築。
構築のキッカケは海外の世界が自分の地図を大きく広げてくれた。だからこそ常に海外との接点は持っておきたい。そして何より『海外』という世界から離れる期間が延びれば延びるほど世界を回り続けていた当時の感覚は錆びていく。
擬似的な海外空間を近くに置くことで固定化した思考にならないように常に新鮮な息吹を拭き続けてくれる。そう思って構築しました。意外とfbページも作ってしっかりやっていました。
この時には『世界』という存在・環境・繋がりは必要性は僕にとってかけがえのない、欠けては自分という存在が成り立たなくなるくらい重要なものに確立していった。
そして国際交流イベントを進めていくにあたって参加している同世代の学生とコミュニケーションをしていって一つ共通点があった。それは参加している日本人は世界に行きたいけど行ったことがない人ばかりだった。そしてその理由はみんなほぼ同じ。
海外は怖い
という不安な声だった。その言葉を聞いた時に数年前にフィリピンで留学をしていた自分を思い出した。
同じ部屋の韓国人は日本人のことをどう思ってるのかな、、、
嫌いなんじゃないかな、、、
というメディアのみの情報から抽出した一元的な解釈で勝手に不安になっていた過去の自分だ。あの時に自分はどうやって変わることができたのかを振り返ったときに留学というキッカケだった。しかもそれはお父さんからの助言という偶発的な出来事にアクションが重なってできた結果だった。
そう思った瞬間に国際交流に参加されていた人に「一緒に海外行かない?」自然と誘っていた。そこから海外ツアーが始まった。
海外スタディーツアー
国際交流イベントを通して一緒に海外にいく人を募ったときに実際に「行ってみたい」という人が出てきてくれた。ただどういう手段で海外に行こうか悩んでいるときに同じ大学の知り合いが「楽しさ」と「学び」をベースにしたツアーをセブ島でやるって話を聞いて実際にどんな感じかを体験しに行ってみた。
実際にツアーに参加してみた。ツアーを楽しむだけではなく、そこから何か学べるような企画を現地で挑戦する、とても充実した時間を過ごすことができた、そして過去の経験を思い返した。
世界を冒険したときも海外でいろんな方とコミュニケーションする楽しさと共に、難民の方から聞いた世界のリアルなライフスタイルを学べた。
その両方を手にすることの重要性を過去の旅で経験してたからこそ「これは面白い!」と感じ、国際交流メンバーも一緒に参加した。
世界の表面化されてない世界を体験でき、みんな充実度の高い時間を過ごしていた。ただそんな姿を見たときにふと気づいた。
これは『好き』なことなのか?
僕は世界を回った後に世界で培ったことで自分に何かできることはないか?ということから帰国して色々なことに着手した。
確かにコミュニティ立ち上げもツアー参戦も自分が世界で感じた経験を多くの人にも擬似的にでも体験してほしいというものだった。そして多くの人から新しい一歩が踏み出せたなどの暖かいメッセージをいただいた。
それはそれでとても嬉しかったが何か物足りなく、個人的な満足度は皆無だった。自分が求めていたことは道筋通りに歩んできた気がしたが何かが違う。歩む道を間違えたのではないか?
ただ、死の期限がある人生においてスピード感を持って歩み続けてきたこと、そして主体性を持ってどんどん行動的になったこと、世界を経験して思考の枠組みが広がったことは決して間違っていない。
じゃこの解決できないなんとも言えないモヤモヤした感情は一体どうやって解決すればいいのか?
答えが見えない自問自答を繰り返していった。
ただそんなときに一つ気づいたことがあった。それは自分だけしかできないことではないからではないか?ということ。実際、国際交流コミュニティやツアーは他のメンバーに任せる機会が本当に多かった。もちろん、大きな組織になってきたら回す役割は自分ではない方がいいかもしれない。
ただこのときに自分にしかない自分の存在意義は何かを強く考え抜いた。そこでたどり着いた一つの答えが語学だった。
唯一無二の自分だけの強みと存在意義
語学との出会い
語学との最初の出会いはもちろんフィリピン留学。それ以前は一生日本で海外との関わりなしに暮らしていく気持ちだったので語学になんか興味は一切なかった。
ただフィリピン留学を通して世界のことを知るために世界の人と話せるようになることはとても大切だと感じたのと、当時の恋人が中国人だったことも加味して語学を本気で学び始めていた。
そして数ヶ月経った頃にはドイツ語も加えて4ヶ国語の簡単な日常会話くらいなら話せるようになっていた。実際に現地の人と話したら「君の発音はいい感じだよ」とある程度お墨付きをもらったのでいいとしよう。
ただそこで気づいたことがあった。これは日本人の僕が強みを発揮できる唯一無二の強みなのではないのか?と。
なぜそう思うようになったのかというとおそらく日本人の90%以上が小学校から大学までの間で英語に触れる機会はたくさんある。ただ実際に話せるようになるかというと話せてる人はその中でも10%いればいい方だと思う。
長い期間学んできてはいるけど実戦では使えない事実と数ヶ月本気で学んで少しでもコミュニケーションできるようになった自分。ここには大きな自分だけの強みを感じた。そこで語学学習に関するサービスを始めた。
語学学習サービスの立ち上げ
語学学習サービスTALKATIVEを始めた。内容はざっくりいうと勉強の習慣設計や環境を提供するサービスです。だいたい日本のどこの語学学校に行っても辞めたら話せなくなってしまう、つまり語学を学ぶ習慣や環境が学校がなくなったらできなくなってしまう人が多かった。特にその後に留学をするなどの予定がない人は特に。
だからこそ自分で語学の習慣設計を作れるようなサポートをしつつ、国際交流イベントなどへ招待をして定期的に環境を提供する。
語学を学べる、実践できる場所はここしかないというサービスではなく、お客さんが自分たちから離れたとしても自走して学び続けられるような状態を目指しました。
好調と不調の連続の末
サービスので出しはとても上手く軌道に乗り、最大120人ほどのお客様がいらっしゃいました。ただそこには問題があった。それは自分で全てを回そうとしたことだ。だから毎週1回ほど一人15-30分ほど進捗確認などの面談をする、さらに一人一人の進捗表などを作らなくてはいけないのでそれも加えると1日12時間以上それをやっていた。
なぜそんなことをしたのかというと自分の唯一無二の強みだと思っていたので他の人にバトンを渡すなんてことはしなかったし、おそらくしたくなかったんだろうと思う。
ただそんなことは長くは続かず、自分のクオリティを維持することは難しく、お客様が減り続けていき、結果サービスをたたむレベルにまでいってしまった。
当時の自分は自分の唯一無二の武器だと信じていたものが信用されなくなり、何もなくなってしまった。と思っていた。ただ今思い返せば実際は唯一無二の武器であることは変わりはないが、組織として自分の強みを活かしてサービスを提供する上で本当にワンマン環境下でやり続けていたことがうまくいかなかった要因だ。
ただこの当時の自分はその武器を粉々に砕かれて絶望状態にいた。全く希望も未来も見えずただただ求めていない1日を迎えていた。
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