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幼少期-高校編 | "死"と"好き"との出会い

こんにちは、自転車で世界一周をするひろです。今までやってきたことや大きく変わったターニングポイントなどをご紹介します。

今回は幼稚園時代から高校卒業までをご紹介します。


幼稚園時代

"死"という概念の認識

今までの記憶の中で一番古い記憶は幼稚園時代のもの。そしてこれが大きな自分の性格の根幹を作り上げたものです。そのきっかけとは飼っていたメダカの死。

朝起きたら何よりもまずメダカの様子を見に行き、家で大切に育てていたメダカが死んでいた。メダカともう出会えないということに僕はひどく悲しんだ。ただメダカを埋葬してあげようと庭に埋めてあげた。

そこから数ヶ月ほど経ったときにテレビアニメの遊戯王で「死者蘇生」という墓地からモンスターを復活させるカードを見て、ふと思った。

どうにかして生き返らせることができるのではないか?

そう思ってそのとき幼稚園の時間が終わって親を待ってる間に幼稚園の時間に使ってるカンバスノートを使ってメダカの絵を描き続けていた。おそらく1日200匹くらいのメダカを描いていた。

同じメダカがたくさん周りにいて「生き返れー!!」とみんなで唱えているかのような絵。今客観的にその絵を見たら悪魔崇拝の宗教的儀式のような絵みたいに見えると思うので当時の幼稚園の先生は怖かったと思う。

ただ周知の通りメダカが生き返ることはなく、強く再認識した。

生き物は死んでしまったら生き返ることはない。

この事実を強く幼稚園の年中の僕は感じて、人間も同じなのかと思うと本当に恐ろしく思った。その当時、親の年齢が30代だったのであと25年は生きられる!と思ったので少し安心しつつ『死』という存在は必ず近づいてくる。

終わりがあるならとことん好きなことをやろう

『死』というものは子供の頃はおそらく抽象的な存在としてあるが故に感情的な側面をそこに抱くことは少ない。ただ年齢を重ねてくると親族や知ってる人の死が起こって『死』に対しての悲しさと恐怖心が芽生えてくる。つまり『死』というものに対して現実味を帯びてくる。

ただ僕は瞬間風速的な恐怖心はあったがそれが尾を引かず、その存在を理解し、そして受け入れた。そして僕は死というゴールに対してそれまでにやりたいことは全てやりきろうって強く思うようになった。

小学生時代

"好き"の芽生え

小学生時代はとても大人しい存在だった。別に大人しくするのが好きなわけではない。じゃあなぜ幼稚園時代に「好きなものをとことんやろう!」と思ったのにどうして動けなかったのか?

それは自分にとって好きなものは何かがわからなかったし、見つけ方なんて全然イメージできなかった。今であれば動けば自分がその物事が好きか嫌いかを判断する頭があるから簡単に挑戦することはできる。

ただ小学生だった当時は全然何をしたら好きか、面白いかってことが分からず動けずにいた。だからその時にやっていたことが同級生の友達がやってることをまず見てみる、その上でやってみるってことだった。今でいう分析をめちゃくちゃしていた。

だから本当に陰にひっそりといてみんなが楽しんでることを見て仲間に入れてもらってやるっていうかなり消極的な地味な人間だった。ただその中で同級生とアニメのBLEACHごっこをしたり、鬼ごっこをしたり色んな遊びをしてたが「楽しい」と感じることはあったが」「好き」という感情がほとんどなかった。

けれどその中で唯一「好き」という感情なのか?と感じるものが芽生えたものがあった。それがサッカーだ。

漠然とした好きとの出会い

自分の友達がサッカーをしていて地元のスポーツ少年団のチームに所属していたので自分もそこに所属しながらしっかりサッカーをしていました。

ただそもそもサッカーに対して「ワクワク」という感情が芽生えたのか?それは仲間と何かを作り上げるという感覚がめちゃくちゃ楽しかったからです。

だけどチームスポーツならなぜ野球でもバスケでもなかったのか?もちろん友達がやっているという点が大きな要因の1つだが、それ以上にワクワクさせてくれたのが試合中に何点も取ることができないスポーツだということ。

つまり1点を11人で取りに行くスポーツって点がとても楽しかったからやり続けることができた。僕にとって初めて「これは好きなことかもしれない」と漠然としたものに出会えた瞬間でした。

『偽物の優秀者』としてのレッテルへの感謝

「サッカー」というものを漠然と好きなものとして認知しつつも大きなキッカケがなかった。そんな小学4年か5年生の頃にあるサッカーチームのコーチと出会った。とても穏やかで優しい雰囲気のコーチです。

そんなコーチが僕をサッカーを好きと認識させてくれる最後の架け橋を繋いでくれた。小学6年生の頃に何かの大会でチームが入賞したか何かの時に優秀者に渡すボールがあった。これをこのコーチは僕にくれた。

正直これには驚いた。なぜなら僕は身長は大きくて速いが別に技術があるわけでもないサッカー選手だった。実際にそのトーナメントでも活躍したかと言われると別にそんなことはない。もちろん優秀選手に選ばれるなんて考えは微塵もなかった。むしろそのボールは点を多く決めていたライバルと思っていた友達の手にいくだろうと傍観者のような感覚で見ていた。

ただその瞬間、「ひろ!」と名前を呼ばれた。呼ばれて3秒ほど頭が働いていなかった。

なぜ選ばれたのか理解できない状態、前に出ることに対しての緊張、選ばれると思っていた方から向けられているだろう視線などあらゆる感情の渦が体に降りかかってる感じの3秒間だった。

ボールを受け取った後も理解できず、うまく笑顔にはなれない。

なぜなのか?なぜ僕にボールをくれたのか?

ただ後日談であの時に優秀者に僕を選んだ理由を人伝で教えてくれた。それは「サッカーが上手くいかないで凹んでいたけど少しずつ上手くなってきた自分がサッカーを好きでやり続けてほしい」という理由だった。

その話を聞いてずっと分からなかった疑問が解消したことによる心の解放と自分のことを考えてくれる人がいたことに対しての感謝。この2つの感情が自然と発生し、そして決意した。

優秀者という意味では僕は今回は選ばれてなかった。ただいつか『優秀者』として認めてもらう存在になろうって。

中学生時代

不確実性の高い世界における決意

中学に入って少し経った時に決意を破壊する出来事があった。それは小学生時代のサッカーコーチが亡くなった知らせが届いたことだ。

決意を決めてから2年ほどのことで今自分の中でサッカーを好きなこととして認知していて全力を注いでる時だった。その出来事は不思議と心をズタボロに辛くさせ、壊すことはなかった。ただ僕の『優秀者になる』という決意に対しての思考を破壊するには容易なものだった。

そして同時に幼稚園時代の『死』とのリンク。ただ幼稚園時代の『死』との違いがあった。それは生きた期間だ。メダカは3年ほど生きて死んだ、それはメダカとしては長生きした。

ただその方は40-50歳ほどで亡くなった。僕はこの時にはすでに日本人は平均で80歳くらいまで生きることができるのを知っていた。だからこの時に強く感じたことが『不確実性の高い世界に自分は生きている』という認識です。

つまり平均寿命的には80歳までだが不規則の出来事が複雑に絡み合ってる世界だからこそ好きなことに没頭する前に死が訪れてしまう可能性があるといういつ下されるか分からない判決を待ってる気分になった。

より一層判決が下される前に自分が好きだと感じるものを見つけて早く没頭しないとなって感情が逆立ちつつ、僕の中で燻ってる約束はどうやって果たせばいいのかという複雑な

心と思考のネジレ

そんな中で中学のクラスメートや授業、先生とのコミュニケーション、恋愛、そしてサッカーの練習や試合、、、

中学時代はとても周りの環境に恵まれていたと思う。ただ恵まれていたと思う瞬間に常に感じていた。

"約束していたことを叶えられなくなった。どうすればいいのか。。。"

頭の中で思考をフル回転させて問答する日々。その状態で楽しく日々を過ごしていた。ただ100%を出し尽くすことができなかった、そしてわかっていた。

100%を出すには約束をどう叶えるかの方法が見えてこない限りは出せないという直感的な事実を。

心の中は楽しく、思考は難題に悩まされる日々を中学時代は送っていた。

高校生時代

感謝と別れ

高校時代には大きな決断を迫られた。それはサッカーの継続に関してだ。実際にサッカー部には入ったが何かが薄く欠けていた。新しい街で新しい人とサッカーができる楽しさは本当に楽しいものだった。ただ欠落したものがあった。

実際、高校時代のサッカーの同世代の人、先輩には本当に恵まれていた。ただこのままサッカーを続けていても100%の力も出せないし、求めている答えは何も出ない。直感的にそれを感じて怪我したことを"いい理由"にサッカーを辞めた。

僕がサッカーを辞める時、部室でほとんどの同世代の人が泣いてくれたことには本当に感謝している。そういう経験も含めて幸せだったと思う。

そして10年間ほど続けてきたサッカーを辞めた。その事実は僕にとっては10年間積み上げてきたものを"0"にするような感じだった。色々な出会いがあったが今度は新しい挑戦を始めた。

180度違う挑戦

それが勉強だ。テストのスコアを上げる意味での勉強は中の中か中の上くらいのなんとも言えないくらいのレベルだった。サッカーとは全く違う新しい挑戦をする中で求める何かは見つかるのか?疑心暗鬼の中、無我夢中で勉強していた。

ただ途中から勉強に力が入らなかった。勉強という学ぶことは面白いが、『好き』という部類ではないと直感で感じてしまった。だからこそ力を注ぎ込むことができなかったんだろう。

身を新しい世界に委ねて

高校時代の3年間もとにかく楽しい時間を過ごすことができた。特に人に恵まれていた。周りの人が生き生きして毎日を過ごしているかのように見えてとても僕は幸せだった。

ただやっぱり楽しさや幸せは感じるが約束を果たせない自分に葛藤を感じていた。というより果たせない自分に嫌気がさして逃げていたのだろうと今思えばそう感じる。

ただそんな中、高校3年生担って受験を迎えて、大学に入学が決まった。大学には行かなくてはいけないというルールではないけどルールに近い、"当たり前にみんながやらなくてはいけない"という固定観念に従った。

まぁ行かなかったところで自分が定めた指針的なものは一切ない。だからその世界に身を委ねてみようと博打的手段を取ってみた。

自分という存在が心から感じる好きなものには出会えるのか?疑心暗鬼の中大学に進んでみた。


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