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父行方不明 親の死を考えたとき 想ったこと
昨夜 父(75歳)が行方不明になって、捜索願いを出した話。
一瞬死をよぎって、その時感じた、父への想いを綴る。
母からの突然の電話
昨夜は満月。毎月オンラインのZoomで、あるインフルエンサーが企画している新月、満月ワークがある。昨夜は数ヶ月ぶりに参加した。連日参加している朝活で眠かったけど、最近気分がよく、ペンを持って思いを書き出したい気分だった。
22時スタート。満月の説明後、書き出すワーク時間になり、自分と向き合い、思いをノートに書いていた。
22時30分に推し活しているインフルエンサーのお話がある。まだかなって楽しみにしてた。
すると、トゥルル。
LINEの電話がなった。
母だ。
ドキッとした。夜中の身内の電話は心配になる。こんな遅くになんだろう。
22時20分頃。
父が帰ってこない
母『お父さんが帰ってこないんだけど』
私『えっ?』
急いで、スマホのzoomを切った。
父は、よく知ってる友人と 朝からお酒の利き比べのイベントへ。外出したまま帰ってきてないらしい。その友人は離れた場所にすんでおり、ご自宅へ電話をしたら 16時にはすでに帰宅。母は、父は18時頃には帰ってくるだろう。と思ってたみたい。
22時過ぎても帰ってこない。
父に電話しても繋がらず、困って長女の私に電話がはいった。
ドキッとしたけど、ちょっと冷静な自分もいた。母を不安がらせない為だったと思う。
母『ケータイ電話も繋がらないんだけど』
まじかよって思った。
母はどっかで寝てるんじゃないかなといいながら、ちょっと声から不安が伝わってきた。母は、なかなかひとりで決められない。私が動かなければと覚悟した。
でも、こんな時どうすればいいだろうと、いったん冷静になろうと電話を切った。
とにかく、イベント会場を割り出そうと検索した。岐阜市の金公園だと推測した。さっき母は神社といっていたが、間違いないと確信した。
なにをすればよいかかわからないが、イベント会場、管轄の県警の電話番号を調べて母から電話するように折り返しの電話をした。電話切ったのが22時40分。
おいおい、まじかよーーーーっと言葉がでた。
酒好きな父
父は、ここ数ヶ月 禁酒をしてたのは知っている。だから、お酒の酔いがまわりやすくなって、電車で寝て乗り越したんじゃないかと母と話してたけど、それにしても遅い。
父は、私が小学生頃、まだ飲酒運転が甘かった時代(ほんとはダメだと思うけど)、近所の友人とお酒を飲んだ帰り、原付バイクで、父だけ転倒 数ヶ月の入院をしてた。顔面打って、鼻を切って、未だに少し歪んで跡も残ってる。また何か起きてるんじゃないかと思った。
父のためにも、書いておくが。父はいたって曲がったことが嫌い。いったことはやる有言実行で、真面目なタイプ。良く喧嘩はするが、尊敬もしている。ただお酒が好きで、家族が集まるとさらに楽しくなってお酒がすすむ。気分よく飲んでるとベロベロになって、よくわたしと口論してた。翌日は記憶がなくて、それがまた面倒くさかった。
だから、もしかして 酔っぱらってどこかで寝てるかもと思った。
父の死をよぎる
父へ電話、ケータイへ電話しても出ない。
ちょっと焦った。
話は変わるが、4日前 沖縄の久高島の宿泊を予約した。スピリチュアルなことは、詳しくないんだけど、『呼ばれた人しか入れないという島』神の島だから、興味本位でいかない方がいいときいたことがあった。
「島にいけない」=「あっ私、きっと呼ばれないんだ」=「死んだ」 っと連想してしまった。
しまったーーーーと後悔した。
この島は、行きたい思いがあったけど、ちょっと恐れ大き思いがあって、入ってはならぬ。って思ってた。それが、スケジュールの関係や、素敵な自然に魅了されて 予約を決めたところだった。
私が予約したから、島が私を受け入れないため、こういう形になっているんだと。
この状況を私のせいだと思った。
23時過ぎても、母から連絡がない。電話にかけたら話中だったので、警察と電話してんるんだ。
行方不明の捜索願いはどうやってするんだ?っと思い、スマホで検索した。
最寄りの警察へ、直接出向かないと捜索願いを出せないらしい。
きっとそのやりとりに追われてるんだと思う。
ここまでで、約40分ほど。
父の死をよぎっていた。
冷静で落ち着いてるわたし、そこに悔いはない
でも、不思議と落ち着いてる自分が居た。よくいう、親が亡くなる時にこうしとけば良かったああしとけばよかったとあるが、それがなかった。
先週、保育園の娘の運動会だった。私の両親が孫の運動会を現地で見たことがないから、見てみたい何年もいっていた。
私の甥っ子が、15歳だから、10年くらいだな。私には妹がいるが、早くに結婚し、周りは若い祖父母なのに、母は腰が曲がっていたので、それが恥ずかしかったらしい。妹は孫の運動会を一度も読んだことはなかった。
なんかさみしいな思っていた。プレッシャーまでには感じてなかったけど、。いつか叶えてあげたいと思ってた。
私は、39歳でようやく、子どもを授かることができ、その思いを叶えてあがられると思った。そこで、コロナウィルスの流行。色んな行事が中止、人数制限がはいりもう見せられないと思った。
ところが今年からようやく、家族だけでなく祖父母も観覧できるように。両親がすごく喜んでいた。私も、肩の荷が降りた~と思ったし、本当に嬉しかった。
親孝行できたって思ったんだ。
運動会後、皆で食事もして、本当に楽しい時間を過ごした。
最近はよく実家にも帰っていたから、ここで、父が亡くなっても後悔してない自分が居た。
逆に、このタイミングで良かったと思った。
好きな酒で死ねるのもサイコーじゃんって思った。
1時間ほど、母からの電話を待つ中、覚悟もできた気がした。
親の死。歳を重ねるたび、私はどう乗り越えられるだろうと、不安があった。突然の死を告げられるのは とても怖い。
突然より、少し、猶予があった方がよいなと思った。
父発見
夜中12時前、ようやく母に電話が繋がり、警察にいることがわかった。
そして、父は、酔っぱらって、寝過ごして 岐阜から静岡県 浜松まで電車でいったことがわかった。
生きていた。ほっとした。
母は、警察に捜索願いをだしていて、警察が動いてしまったから 謝罪とその解除の対応に追われていた。母は電話越しで怒っていたけど。
私は「生きてて良かった。こんな笑える話ないから、とにかくこの状況を楽しんで」って言えた。
これは書く朝活で、noteを書き続けてたから、言えるセリフ。ネタになって笑える内容で良かったって。ブログ書いてて良かった。と思った。
そして、
電話切った途端、大笑いしたよ。