“競争“とは自己を向上させるためのもの
現代社会は紛れもなく“競争“社会です。
当然、会社・ビジネスにおいても用意されているポストは決まっており、そのポジションを日々奪い合ったり、守ったりしています。
社会全体が弱肉強食とまでは言いませんが、大多数は当てはまると思います。
私は性格上、何事もなるべく優劣をつけずに、みんなと一緒にゴールしたいタイプです。要するにお人好しです。
その性格が仇となって、“競争“という枠組みから外れてしまったのは事実だと思います。
私はこれからもこの性格の根本自体は間違っていないと思うので変えようとは思いません。が、“競争“という概念を全面的に否定するのは大間違いでした。
どの業界においても、トップの人達は“競争“を通じて常に自己成長しています。
まずプロの土俵で戦うために“競争“する。
次に、プロの土俵で戦えるようになったら、ライバル同士で個人の能力の限界値を達成する。
その後、“協力“という概念を通じ広範囲で成長を促す立場になる。
当然、私は“協力“という概念を常に優先的に考えていますが、実際問題、全てのジャンルで通用する訳ではありません。
マラソンだって皆んなで手を繋いでゴールしましょうというタイプと、誰が一番にテープを切ることができるか競い合うタイプかは全く違うからです。
何か目標に向かって一生懸命に進んでいると、当然、大きな壁に突き当たります。
その際、私達に求められる力というのは柔軟な思考、ゴール達成に向けての働きだと思います。
ただ、そのゴールが厚ければ厚いほど、それを達成するのは困難。
よく意志力は必要ないという本を見かけますが、全てが全て正しい訳ではない思います。
努力をするにしても、自分がどのように生まれ変わりたいか、変化したいのか、
憧れの人に近づくためにはどうしたら良いのか。
という考えが必要です。
私は双極性感情障害という持病を持っており、症状が悪化している時は何も考えられないという状況も多々あります。
今後の未来は変化していくと考えると、当然、人生における優先順位を考えてそれをタスクベースで処理していきますが、気分の波があるため、脳のリソースを割く時間は限られてきます。
その時間を少しでも延ばすために考えたのが馬力=闘争心・競争心を高めることです。
私は性格上基本的に平和主義者で、なるべく競争しない生き方を選択してきました。
サッカーでいうとポジションはボランチ。
なるべく広範囲の視野を保ちつつ、チームメイトの特性に合わせてパス、局面によってはゴールを狙うというスタンスでした。
それが悪いとは言いませんが、現状、日本というのは競争社会です。
共存社会が実現してくれると有り難いですが、数十年先のことだと感じます。
それではどうすれば闘争心・競争心を磨くことができるのか?
それは何事に対しても絶対に勝つという根拠を作る、つまり、自身の心をトップレベルまで高めることです。
カジュアルシーンではなく、競技形式に仕立てる。
当たり前ですが、真剣にその物事に向き合っている人ほど強く、知識に長けている。
そういった強い人達と一緒に競争(個人個人のレベルを高め合う)するのが楽しい。
勝ち負けにこだわるのではなく、素晴らしい試合を行い、互いに足りないものを補っていく。
競争という枠組みが苦手な人の気持ちは痛いほど分かります。
ただ、無力感になるまで自分を追い込むのは誤りであり、有限である人生の区切れにしてしまうのは勿体無いです。
人間は何事も悔しさをバネに進化し続け、これからも成長していきます。
勝つか負けるかではないけれど、勝ったらその人を讃えられる、負けても悔しさから経験を得るというのが本質だと思います。
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