マンガに出てくる毒親を「クローズアップ現代」で考察してみる(2024/6/16 #66)
この週末は久々に積ん録(つんろく=録画してほったらかしにしているTV番組)、積読をそれぞれ消化したのですが、たまたまその内容がつながった気がしたので、それについて書いてみます。
教育虐待 親が決めたゴールに進んだけれど…
見た番組は『クローズアップ現代 "教育虐待"その教育は誰のため?』というもの
番組に出ていた専門家の武田さんは、教育虐待を「親が子どもの心身が耐えられる限界を超えて教育を強制すること」と定義しています。
番組では教育虐待に関する3つのエピソードが紹介されており、1つは親に勉強を強要され、大学まで進学したのちに親を殺害してしまうという痛ましいものでした。
もう1つは、親がゴールと設定していた大学受験を無事乗り越えたのちに、メンタル不全となってしまったという事例。
いずれも親が望む進路に進んだ後に、親が望んだような展開にならなかったというものです。
美術のマンガから感じ取る教育虐待要素
読み進めたのは『ブルーピリオド』というマンガ。
どんなマンガかChatgptさんに100文字程度で書いてもらいました↓
ちなみにYOASOBIの群青という曲は、このマンガをモチーフとして制作されてます。
私はもともとこの曲を入口にしてブルーピリオドを読み始めたものの、しばらく放置しており、先日美術館に行ったこともあり再読し始めたのでした。
で、一体なにが「教育虐待」の話とつながるのか?
このマンガに「世田介(よたすけ)くん」というキャラクターがいます。
クールで言葉数少なですが、卓越した技術と独特の視点を持ち、主人公の八虎を刺激する存在として描かれています。
そんな世田介くんが、ひょんなことから母親と口論になるシーンが出てきます。その時母親から投げかけられた言葉が、教育虐待要素が含まれている気がするのです。
ここで冒頭のクローズアップ現代から「教育熱心」と「教育虐待」を分けるものが何なのかを整理した表を引用します。
世田介くんのお母さんの言動は、上表の「動機づけの手段」や「親子のバウンダリー」等が「教育虐待」に寄ってると感じられます。
お母さんと夫(世田介くんのお父さん)との会話から「あの子は昔からあんな感じ」といったような発言もあり、かなり前からこのようなコミュニケーションスタイルなのかと想像されます。
(また、お父さんが子育てにあまり関与してなさそうなのも、世田介くんの家庭のポイントの1つな気がします)
またお母さんは「あんたは絵が得意」という投げかけを重ね、知らず知らずのうちに世田介くんが、そちらの方向に進路を目指すキッカケをつくっていたかもしれません。
現に世田介くんは「絵を描くのが好きだと思ったこと一度もない」という発言もしています。これも上表のうち「そんたくの強要」に該当していると言えます。
幸いにして世田介くんは、八虎や、ほかの美大生との交流もあり(少なくとも自分が読んでいる巻のあたりでは)主体性を取り戻し作品づくりに取り組んでいますが、かなり紙一重だったなと読んでいて感じたわけです。
親のモノサシで一方的にコミュニケーションせず、対話を大事にしよう
クローズアップ現代に出てくる「教育虐待」の被害者の方も、世田介くんも長らく「親のモノサシ」の中で生きてきたと思います。
その結果大人になってから自分の人生に悩み、最悪のケースは親を殺してしまうことにもつながる・・・
仮に最悪ケースにならなかったとしても、そもそも「親のモノサシ」が子どもが大人になるころには「ズレたものになっている」ケースもあり得ます。
良かれと思って大学の学歴を取らせたものの、今は大卒よりも手に技能を持った職人さんの方が稼げたりもする時代です。
何より子どもが主体的に人生を過ごせるかどうかが大事です。
親のモノサシを押し付けると、主体的に人生を選べとれない。
先述の表にある「対話による合意形成」が大事だと改めて感じます。
日ごろ子どもと接していると、ついついこちらが用意した選択肢を押し付けてしまうこともあります。
常に良い接し方ができないにしても、今回気づいたことを忘れないよう、「毒親」にならぬよう気を付けたいと思った父の日なのでした。
それにしても、たまたま接したコンテンツ同士(しかも一見、関係なさそうなもの)がつながる体験は面白いですね。
『ブルーピリオド』は今回「毒親紹介」のための引用となってしまいましたが、打ち込めるものが無かった主人公が絵に魅せられ成長していく様や、多様なキャラクターのエピソードなど、美術に興味ない(それこそ美術館ビギナーの私のような↓)人でも楽しめるマンガですので、ご関心ある方はぜひどうぞ(このマンガに接してからYOASOBIの群青を聴くのもおススメです)。
では今回は以上です。