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好かれる勇気 #56

私は結婚して仕事で独立するまで自由人でした。

思いのままに発言し、行動し、それが良い結果を生むこともあれば悪い結果を招くこともありました。

それでも、「自分は間違っていない」という根拠のない自信を持っていました。

好きな人と好きなことだけできればいい。
気の合わない奴とは徹底的にやりあう。

部活の先輩や会社の上司に理不尽なことをされたらすぐに噛みつき、お客様にも媚びず、自分が正しいと思うことだけを追求していました。

そういう若い時代を過ごした方も多いのではないでしょうか。

嫌われる勇気は持っていた

「嫌われる勇気」というロングセラー本があります。
その一部には、他社からの承認欲求を否定することで自由に生きられるという内容が書かれています。
まさに、その通りの人生を歩んできました。

シンプルに、上司の言い分が理不尽ならそのさらに上司に相談し、自分の与えられた役割を全うするだけだ、と考えるタイプでした。

友人に「いろんな人に嫌われてるよね」と言われても、なんとも思いませんでした。
むしろ、そう正直に言ってくれる友人がいたこと自体を嬉しく思いました。

好かれる勇気も必要である

今では、結婚し、子供が生まれ、一人で仕事をし、守るべきものが増えました。

もし、街で肩がぶつかったと因縁つけられたら、独身のときなら噛みつきますが、今ならすぐ謝れます。
迷惑運転の車があってもクラクションを鳴らさなくなりました。

万が一トラブルになってケガでもすれば家族に迷惑がかかるし、子供にはそういう大人になってほしくないからです。

妻と意見が合わないときも、折れることが多くなりました。
自分の意見を押し通すことよりもそれが平穏な家庭に繋がるのなら簡単なことを知ったからです。

昔の友人に久しぶりに会うと、丸くなったねと言われます。
もちろん、私から見てもみんな丸くなりました。

でも違和感が残る

何が譲れなくて、何が妥協できない部分なのか、常に迷います。

例えば、お客様から心外なクレームを受けて、「おっしゃる通りです、すぐに対応します」と言うこともできるし、「いや、これはこういう理由があってそうしてます」と反論することもできます。
私は最近は前者の対応が増えてきました。
もちろん、商売をしている人はそうするのがほとんどでしょう。

色々なことに対し、なるべくトラブルを避け、結果だけを重視する。
そうすることに慣れ始め、自分らしさがどこにあるのかが見えなくなると思うことも増えました。

「心で記憶したことは忘れない」

島田紳助さんが「本で学んだことはすぐに忘れる。心で記憶したことはいつまでも忘れない。そのためには、感情の起伏が激しくないといけない。」と言っていました。

まさに今の私の状況が今だと思います。

何事にも落ち着いて冷静に、と考えているうちに、トラブルは減ってきたものの、プラスに働く情熱のようなものも薄れてきています。

私にとって「好かれる」ということはとても勇気のいること

亭主関白や頑固おやじに憧れていたのに、今ではすっかり角の取れたオジサンです。

イラッとした怒りは押し殺すべきなのに、ウルッとした感動は表現すべき。

そんな器用な生き方にたどり着けるのか、また昔のような周りが見えなくなるほどのガムシャラさを思い出すべきなのか。
まだ答えは見えていません。。。

もしかしたら、私達ミレニアル世代が感じる虚無感のような感覚も、陰を隠して陽を出すことを社会に強制されることで生まれたのではないでしょうか。

常識に囚われず自由に生きるべきといわれるが、他人に迷惑をかけてはいけないという倫理観も押しつけられる。
エネルギーを発散させたいのに、不良少年は否定される。
暴力は無くせないのに、体罰や暴力団は表面上で排除する。

そのような人間らしさを否定し続けることで、感情と社会倫理に矛盾が発生し、少しづつ歪みが出てきている気がします。

多様性を重視することで、オリジナリティを持てない大多数の人が、見えない苦しみを抱え始めている気もします。

まぁ、社会や価値観というのは時代と共に変わっていくものなので、否定はできませんが、追いつけていない自分に加齢を感じます。。。

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