1979年の選手名鑑を眺めていると
#12
手もとには44年間の選手名鑑がある。
開幕前に新聞掲載される別刷のヤツだ。
1979年、11歳の僕にプレイバック。
前年優勝したヤクルトの広岡監督は47歳。
虎は球団初の最下位になって6枚目に登場。
監督はブレイザーで田淵はいないが小林がいる。
真弓がトレードで来て岡田の入団は翌年だ。
31 掛布雅之 23 176 76 習志野高★ .318-32
この数字の羅列が僕の想像力を掻き立てた。
1978年32本、1979年48本、1980年11本。
彼を襲った野球人生の挫折と栄光の3年間だ。
今の村上宗隆と同じくらいのキャリアである。
中学生になった僕はリアルにそれを見ていて、
擦り切れて破れた選手名鑑に思いがあふれる。
その選手名鑑に利用価値はないかもしれないが、
2023年の球春に備え55歳の僕は新聞を買い、
はさみでチョキチョキ、ホチキスでプチプチ。
アナログなルーティンワークを今年も続ける。
大人になって熱心に見返すことはなくなったが、
当時の選手の背番号は今もソラで言えたりする。
逆に今の選手は誰やった? ってなっている。
今の記憶が曖昧で昔の記憶が明確なのは、
なんか、ヤバいなって心配になるけれど、
虎の「1」はルーキーの森下ではない。
鳥谷でもオマリーでも中込でも野田でもない。
第一次監督時代の吉田義男と答えてしまう。
「17」といえば青柳ではない。
なぜだか、条件反射で桑野議なのである。
「議」を「はかる」と読む子どもだった。
虎から学んだことはたくさんある。
今週の虎党の呟き😱
昭和の写真名鑑には選手の住所が掲載されてた。