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僕の20歳の未来は前途洋々だったが

#3

昭和の頃、成人の日は1月15日だった。
僕の成人の日は1988年。もう35年前になる。
当時、鳴尾浜のステンレス加工工場に勤め、
高校卒業後、なんとなく選んだ仕事に後悔した。
このまま定年の60歳まで働き続けて
歯車のまま歯車で終わる人生になるのか。
気が遠くなるような時間が僕を苦しめた。
それは恐ろしく長い人生のトンネルに思えた。
阪神甲子園駅から鳴尾浜行きのバスに乗り、
毎朝、甲子園を窓越しに見ていたはずなのに、
蔦があったのかどうかも思い出せない。
いつもワクワクしながら通い続けた甲子園が、
タイガースが、癒しにも救いにもならない。
優勝することが元気と希望と活力になるなら
虎は僕を裏切り続けた。鬱々とした日々の中で、
毎日の通勤電車の車内吊り広告を眺め、
コピーライターという仕事を知った。
文章を書く仕事であることは理解できた。
書くことに慣れるのが文章上達の近道になると、
その日から日記を書き始めた。
1行目に「コピーライターになる」と書き殴り、
ペンの筆圧が当時の固い意志を感じる。
20歳で会社を辞め、春から専門学校に通った。
夏を待たずにバースが去り、秋には掛布が引退。
虎は日本一から3年で長い冬の暗黒時代に入る。
僕はいつの日かコピーライターになったが、
優勝まで15年も待たされて35歳になっていた。
あの気が遠くなるような果てしなく思えた
40年は、瞬く間に35年が過ぎ、55歳になった。
あぁ、60歳まであと5年しかない。

今週の虎党の呟き😥 

暗黒時代は常態化して暗黒時代と思わなくなる。


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