優勝の味が12球団一おいしいと思う
#5
1985年の日本一から18年、
17歳だった僕は35歳になっていた。
毎年、春になると「今年は違う」と盛り上がり、
懲りずに「優勝するかも」と信じて裏切られる。
何度も何度も何度も裏切られても虎党には、
「信じる」遺伝子がしっかり組み込まれている。
一生に一度になるかもしれない、
その瞬間をどのように迎えたらいいのか。
歓喜指数なるものがあるなら計測不能。
鬱積した感情と屈折した愛情があいまって、
待ちくたびれていただけに優勝というとき、
どのように振る舞えばいいのかわからない。
その思いは「優勝してほしい」という渇望から
「この日に見たい」という願望に変わり、
「この目で見たい」から「球場で見たい」と、
贅沢な欲求にエスカレートしていくのだけれど、
「優勝してくれたらいつでもどこでもええねん」
その瞬間をおいしく味わいたいのが虎党の本音。
何度も優勝を重ねると喜びの味も薄味になる。
巨人ファン野球ファンに自慢したくなる優勝だ。
やきもきしながら過ごしたM2からの停滞も
久しぶりに味わう、らしさなのかな。
18年間も裏切られると、ノスタルジーも少々。
1日ぐらい、1敗ぐらい、どうでもよくなる。
9回、赤星の打球がライトの頭上を抜けていく。
バックスクリーンを夕日が染め、
ビジョンは横浜対ヤクルトの試合を映し出す。
ヤクルトが負けると待機する選手とともに、
待ち遠しくて待ちに待った瞬間を迎える。
虎党も虎党じゃなくてもみんなしあわせ。
「ああ、しんどかった」
今週の虎党の呟き😅
2年後の優勝も中2年ではインパクトが弱くなる。