『昭和の良き日々』 いしもと弘文履歴書 第5章 『子供の最後の大博打』
先輩から受継いだ遊び『パッチン・メンコ』
確かに戦後生まれの子供達は遊びの天才である。何しろテレビのない時代に育った子供達の楽しみは学校に行って遊ぶか、家に帰って近所仲間と共に遊ぶだけしかなかった。良い行為も悪い行為も全て先輩から教わった。まず良い先輩は後輩を大切に扱う。楽しいこと興味あることを色々と教えてくれてくれた。悪い先輩は後輩を虐めることから始める。次に悪い遊びを実践して教える。私は悪い先輩の悪逆は見ていたが真似をしたことはない。しかし村八分された子供を追いかけて恐怖に怯えさせて苛めることは先輩に習って仲間で何度か試したことがある。子供心に今でも後悔の念で、お詫びを申し上げたと思っている。先輩の威を借りて、後輩を脅すのに使ったことは事実だ。小学校生と言えども言い訳にはならない。相手の立場になったら嫌な思いをしたと思います。『本当に申し訳ありません。』
確かに先輩は季節毎に新しい遊びを生み出す。道具を使って遊びをする。道具を使わず体の一部を使って時には歌を歌いながら遊びを後輩に教える。毎日が苦痛なく、楽しく遊びを覚えていった。
今日は朝から雨が降っている。当然アーケードの下の広い商店街の中で遊ぶ事になる。寒い時には集団で動き回る遊びになる。『缶蹴り』『三ベン叩き』など二チームに分かれて対抗合戦になる。隠れる、走る、捕まえる、チームを救う、全てがゲームの中で繋がっている。まず初めに先輩が真ん中に置いてある缶を遠くまで蹴り上げる。相手方はそれを素早く拾って元の位置に戻してからゲームは始める。味方はすでにどこか商店街の見付けにくいところを探して隠れている。見つかると背中を3回叩たたかれたら相手方の捕虜になって、仮の独房に繋ながれる。助かる道は味方が相手に捕まらない様に潜入して仮の鎖を手できると捕虜は救われ逃げ出すことができる単純なゲームであるが、多少ゲームの規則を変えて毎日の飽きもせずに遊び続けたものだ。これは集団の遊びである。しかし他の遊びは、ほとんどは単独の一対一の勝負で勝敗を決めていた。勝者は今かけた全てのものを頂く子供にとっても厳しいゲームだった。敗者が失うものは子供が一番大切にしている宝物駄菓子屋(玩具屋)で売っている遊び道具だった。買えば又、ゲームに参加できる。最後の勝負は家にある全てのものを持ち出して来て最後の勝負となる大人と劣らず、まさに真剣勝負である。負ければ今まで後輩から巻き上げた全ての財産を失う事になる子供にとっては生きるか死ぬかの勝負になる。
純粋と言えるほど、子供はいつも真剣勝負だった。たとえ遊びでも当然である。小学生でも年上になると後輩はひと通り遊びの鴨になる。しかし後輩は親からもらった小銭しかゲーム道具を買うことができないので、敗者となったところで失うものは少ない。しかしながら、勝ち続けると箱一杯財産が増える事になる。一度運悪く後輩に負けると、歯止めがつかなくなる。それが先輩の意地になる。家の箱にビッシリ詰め込んである財産を全て持ち出す事になる。相手も全ての財産を吐き出す事になる。前代未聞の大勝負となった。積み上げるとかなりの高さの塔が二列できる。崩れない様に其々が押し合い辛うじて立っている状態である。周りの子供達も一代勝負を見物に来る。私も最後のゲームになるとは思ってもいなかった。初めから負けるつもりで勝負を挑む者は誰もいない。いつも勝つことが前提で勝負に挑むものだ。たとえ子供だと言えども勝負の勝ち負けは裏向きに積み上げた二列の塔から二枚だけ表にし親指が通るだけ間隔を開けると勝ちになる。もちろん使うのは、いつも使い慣れている最強の一枚を使って、その一枚の風圧によって二枚表にする事に集中する事になる。最初に私がうず高く積み上げている塔の僅か上を通しながら風圧を起こすが、一番上のパッチンが微かに振動したが落ちることはなかった。その繰り返しが何度か続いて最後に一枚のバッチンが塔の横腹に当たって崩れ落ちた。後は地べたを叩いて、風圧で二枚のパッチンを表にひっくり返す事になる。巧みな技術も大切だが、その場の状態で、ほとんどが運任せで勝負が決まる。残念ながら、相手方の風圧で二枚のパッチンがふわふわと宙を舞い表になって舞い降りた。明らかに相手に勝運は降りた。運は私を見捨てたと悟った。すべてを失って家に帰る事になった。子供でも悔しい思いが何度も汲み上げてくる。誰にも気付かれない様に二階に上がって、誰もいない部屋で思いっ切り声をあげて泣いた。悔しさで泣いた。誰も慰めてくれる者もいない暗い部屋で泣いた。後は何故こんな事で泣いているのか分からずに泣いた。
その日は一日憂鬱だった。その後、子供の賭け事に関わる遊び、ゲームに手を出すこと一切なくなった。子供の遊びから完全に卒業した事になる。その経験が功をそうしたのか、大人になっても、あらゆる賭け事、競輪、オートバイ、競艇、競馬、パチンコ、麻雀、花札などには真剣にハマることはなかった。一度ラスベガスに行ったことがあるが、そこでさえも賭け事はできなかった。何と、無駄なことをしたと後悔することもなかった。完全に賭け事に嵌ることはない。いつも賭け事には苦手意識を感じている。子供の時の経験がギャンブル依存症になることを避けたのだと今も思っている。
新しい時代の流れ
数日後、朝起きて気づいたのだが、以前勝負に負けた後輩の店が消えて無くなっていた。大人達は何にも子供には教えてくれない。私は新天地を求めて引越しをしたのだとずっと思っていた。その後も商店街にあった店が一つ一つ消えて行く。子供の頃は別に特別な事とは思っていなかった。商店街の全ての店主が永遠に繁栄は続くと信じていたからだ。多くの子供達は有名な大学を卒業しても長男だけは店に戻って後を継いだ。親の命令に逆らわず戻って来た子供達は時代の流れに気づかなく、子供の遊びから大人の遊びへと変化していった。何しろ夜の遊びはもっと楽しいことが詰まっていた。ギャンブルも大人の独占上になっていた。話題はギャンブルの事か夜の飲み歩きに決まっていた。刹那の遊びを楽しんでいたのかもしれない。我々店主二代目は遊びは先代並だが世の中の移り変わりを理解できなかった。戦後の朝鮮戦争特需の繁栄を謳歌した先代と違って、何か新しい世の中の変化に疎く、ついて行ける仲間もいなかった。時代の波には勝てなかったのかと思った。
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