『竜馬の如く世界を駆けめぐる』 第8章 『男子寮での奇妙な事件』
男子寮で最初の奇妙な事件
寮に住み始めてから数週間が経った時に考えられない奇妙な事件が起きたミシシュピー州は、日本人には安全な州で知られている。その南部の中心に位置するハチスバーグは一度も殺人事件のない田園地帯にある。勉強するには静かで住みやすい所にあることは間違いない。その周りには訓練された軍人が駐屯している軍基地があることで知られ安全は確保されている。人口五万人の住民の中に学生だけでも一万人が共に住んでいる小さな町だ。日本人には考えられないと思うが、その町にもモールと呼ぼれるショピングセンターがある。二階建ての建物で、その中に有名なデパートが4軒含まれる。全体をアーケードで覆って冷暖房設備の建物で、住民にとって必要な店は全て揃っている。土曜、日曜日は多くの住民で溢れ、夜遅くまで楽しんで過ごす最後は映画を見て帰ると言うのが米国人の日課になっていた。その周辺にはウオルマート、シアーズ、JCペニー、Kマート、シネマコンプレックスやレストランなどが散らばっている。しかし車がなければ、どこにも行けない車社会であることは間違いない。
2月の真夜中に、よく分からないが学生達がぞろぞろ外に出て行く。留学生は何が起こっているか分からないまま学生の後に従うだけである。キャンパスポリースが何かを探している事は噂に聞いて知っているが、まさか爆弾を探しているとは驚くだけだ。私には真実とは思えなかった。寮生が外にゾロゾロ出て行く、別に急ぐ様子もなかった。『寮から外に出なさい』と何度もアナウスされた。寮生が全て寮の前の広場にバラバラに集まった。これだけ多くの学生が寮に寝泊まりしているとは想像が付かなかった。あちこちで会話が飛び交う。留学生は留学生同士で、何故かしら集中して雑談に耽っている。ここは米国の南部なので極端に寒さは感じられない。雪は降らないことは分かっていたが、急に空から小さな雪らしきものが降ってくるのが目に映った。一番喜んで私に最初に声を掛けてきた留学生がいた。しかし私は無視していた。『ほら、見て!』小さくて掴むのに難しい塊を手のひらで受け止めてから、指で捕まえて叫んだ。 『スノー!スノー!』とエル・サルバドールから来た留学生で、生まれて初めて雪を見て感激していた。祖国では外資系の会社で働いている裕福な会社員だった。年齢が近いのですぐに親しくなった。
同じその事件を共有した後、何か他部屋の寮生とも親しくなるのが目に見えて分かる様になった。2月の寒い真夜中に寮を追い出された同じ仲間意識からかも知れない。元来、米国人はごく一部の人を除いて陽気な楽しい性格の持ち主が多い。神経質な米国人を見かけることはほとんどなかった。学生の話では現在警察が何か探しているところだった。後で分かったことだが、真夜中に電話で寮に爆弾を仕掛けたと言う嘘みたいな本当の電話だった。四階から全ての部屋、トイレ洗面所などを捜索したそうですが、爆弾を発見できなかった。数時間後、全寮生が寮に戻るようアナウンスされた。誰も愚痴も言わずに偶然の一生経験できない事件に出会した共通の楽しい思い出として心に抱きながら休みについた。その後犯人は逮捕された。白人の学生だった。他の寮生は誰も気にはせず噂にもならなかった。次の日この事に関して話をする学生も先生も居なかった。全て忘れてしまった様に静かな状態で、何も起こっていなかったのではと間違うほどであった。その後大学でさえその噂をする学生もいなかった。全てが無かった如く生活は進んでいった。 これが米国の日常のことだと思う事にした。 日々の授業で、まず最初に親切に声をかけてくれるのは韓国・台湾からの留学生でした。特に台湾や韓国の生徒は大学で授業を取っている先輩が何かと世話をしていた。我々日本人にもいろいろと教えて頂いた。感謝しなくていけない。誤解を受けたり、誤解を与えることは日常の生活の中では見受けられるが、米国では次の日には全てゼロからの始まることになる。そのルールにも少しづつ慣れて行く自分自身を客観的に見て、米国人に一歩近づいた事に喜びを感じる様になる。次に陽気なラテン系留学生は日本人留学生に興味深く特に親しみを持ってくれた。ごく普通の日常生活が楽しくなっていく。
西洋式トイレの不思議さ
毎日洗面所に来ると最初にトイレを使う事になる。
大学寮の共同トイレに行って最初に驚く事はトイレが開放的で大きく開いている事だ。米国人の大きな足がトイレからハミ出さんばかり出ているのを見ると我々戦後生まれには信じられない。実に不思議に思うことだ。
日本式トイレは元来、閉鎖的で個室で利用する感じがある。
君達は考えも浮かばないと思うが。子供の頃は汲み取り式トイレしか使用していない我々日本式トイレ愛好者には米国大学の高い便器のトイレの利用に慣れるのにも時間が必要であった。米国人からは日本人の腰の強さは日本式トイレで鍛えたと言われていた時代のことだ。ある日本人は便器の上に載って用を足していたらしい。全く危険極まりない利用方法に驚かされる。 大体、腰掛けて用を足すなど本当に贅沢であると思う。 何しろ力が入らないのでスムーズに便通が起きないのには困った。米国人は気にしないらしいが、便器の清潔さにも目を配らなければならなかった。 いろいろ考えた末、紙を便器の上に敷いて、その上にお尻を載せて利用する事にした。急いでいる時には大変な事になる。何回か大学の図書館で変な米国人のおばさんを見る事になる。その前に米国の大学は一般人が侵入しても誰も注意する人はいません。多分住民に開放しているのだと思います。彼女のスカートの後ろにトイレの紙がまるで狐のしっぽの様にヒラヒラしていたのを見た時に、直感で理解した。彼女もトイレの便器の清潔さを気にしているのだと分かったが声はかけられなかった。別におかしいわけでもないと言い聞かせながら見ぬふりをした。 ある日急いでトイレに入って用を足そうとした時、紙があるのを確認していなかった。いつも朝掃除のおばさんがトイレ掃除の時に紙を補充するのが習慣になっていたからである。用を足した後、安心して見て気づいたが、どうにもならない。その後、何を利用して拭くか考えていた時に隣の米国人が何か声をかけて来た英語で。当然その状況で英語が聞き取れなくても関係なく何を意味しているかは理解できる。下から紙の塊が移動して来た。全て理解した。唯『サンキュー』で終わりである。その為に大きく開放的なトイレの構造になっているのかと改めて感心した。その後、トイレの利用で困る事も無くなった。
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