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『竜馬の如く夢は世界を駆けめぐる』    第6章 『州立南ミシシュピー大学の寮』

州立南ミシシュピー大学での初日

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 次の朝、快適な目覚めで1日が始まった。
必要以上に十分過ぎる睡眠から、やっと解放された感じがした。生まれて初めての経験に戸惑いながらも健康的な素晴らしい朝を迎えることができた。すっかり疲労も取れて、一切の不安もなくなった。
荷物をまとめて一階のレストランに降りると、昨日見掛けた日本からきた女性三人が朝食を取っていた。私もアメリカンモーニングを注文する事にしたどんな話をしたか覚えていないが、楽しく過ごせたことは確かだ。荷物を抱えてホリディ・イン・モーテルの玄関に常駐しているタクシーに四人で乗り込んで南ミシシュピー大学へ向かう。大学に着くと、初めてのチップの計算になる。その役目は女性が受け持った。料金とチップを含めて4等分して降りる事になった。

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 大学に着くと、大学構内の英語語学学校まで三十分も歩かされる事になるアメリカの大学の広さには全く驚かされる。大学のキャンパスの向こう側には大学フットボールスタジアムがあり、その先にはゴルフ場まで備えてあるのが目に焼き付いた。

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English Language Institute in USM

1985年2月14日 Registration  履修登録                                          英語語学課程履修登録日に大学生と同様のI.D.カード(写真付き)を作成する事になる。これで図書館の入室及び本を借りるときのカードに使用でき並びに食事を取るためのレストランの入室カードにもなっていた。それが済むと今日最後の最大のイベントは寮(ドミトリー)の部屋番号とルームメイトが決まる事になる。留学生にとって重要な事であることを、その時は思ってもいなかった。その後、生徒は車で近くのウオルマートで敷布、日本の2倍の長さの白い敷布、薄い毛布と枕及び枕カバーを買う事になる。何しろベットはあっても他は何もないからである。風呂はシャワーになる。日本人には一つ疑問点が湧くと思う。布団はいらないのか?米国では大学の寮並びに教室は全て冷暖房完備であると言う贅沢さである。それが災いを招く事になるとはずっと後になって知る事になる。

 今考えれば天国と地獄という感じですね。
男女共ドミトリーは新しく建て替えられ近代的なホテルと変わりがないが、我々の時代、1985年代は確かに女性の寮は今と変わらない建物で女生徒は快適に暮らせたと思うが、何しろ男性厳禁で部屋の中を見たことはないので良く分からないが。男性は玄関までしか入れない厳しい規則があった。玄関の作りを見れば誰でも理解できる。男性専用の寮は古い4階建の横長の長屋の如き建物が2棟連結して立っていた。もちろん、1万人の学生を収容する寮は構内にあちこちに建っていた。ほとんどの学生は寮に住んでいたと思う。私の寮には名前もなかった。古い建物だった。4階は大学4年生の住むとことで一年生及び英語教室の生徒は1階に住むと決まっていた。最初の幸運が偶然におとづれる。4階に住んでいる大学4年生が日本人のルームメイトを探している幸運に恵まれた。彼が卒業する数ヶ月間、静かで快適な部屋で一緒に過ごす事になった。初めて白人大学生と共に生活をする事になった。男性寮には誰でも、夜中でも侵入できる、入り口は常に開放してあった。トイレと洗面所が中央に位置する共有施設となっていた。鍵があっても鍵をかける学生はいなかった。一様安全は担保されていた。大学構内の中には特別のキャンパスポリースと言って特別の警察官が大学内を巡回することになっている。大学の寮にいる間、別に問題など何も起こるはずがないと思っていた今日から州立南ミシシュピー大学の寮で生活が始まる。  

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1985年2月15日 Placement exams
文法中心のクラス分けのテストがあった。 レベル1・2・3・4    特別にレベル5(最初はなかった)は大学進学を目指す学生向きになる。 大学クリニックで、何の知らせもなく、はしかの予防注射を打たれた。

1985年2月16日 初日のクラスが9時に始まった。           英語語学学校は大学と違って1クラス五十分授業で午前3授業・午後1授業
月曜日から金曜日まで毎日授業が続けられる。土曜日は昼までの授業であった。まず初めに全ての生徒が広い講堂に集められれた。特に大学は南部に位置するのでメキシコ・中央アメリカ・南アメリカのラテン系の陽気な生徒が大勢いた。韓国人・台湾人は個人留学生だったが、中国人は全て国費留学だった。数人のヨーロッパからの留学生とアラビア系の留学生も混じっていた初対面の学生をリラックスさせると同時に親しい友人関係を作れる様に簡単な遊びから始まった。最後の質問は3カ国語を話せる生徒を見つけ出す、それも早く見つけ出す事が大切だった。確か1番から3番までは景品が出たと思う。単純な遊びだが、ここでも日本人と外国人との文化的な違いが如実にわかるゲームだった。

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さすがに日本人はレベル1は誰もいなかった。レベル2、3、4とクラス分けの名前が発表された。ブックストアに行って教科書を買う事になる。

Winter Quarter 冬クオーター2ヶ月間

月曜日から金曜日までの1日のスケジュール(予定表)          朝七時に起床                            朝八時に大学構内のレストランで朝食                 朝九時から一時間目のクラスが始まる                 朝十時から二時間目のクラス                     朝十一時から三時間目のクラス                    昼十二時から大学構内のレストランで昼食               昼一時から四時間目のクラス                     昼二時から図書館で予習、復習する                  夜六時から大学構内レストランで夕食                 夜七時から図書館で予習、復讐する                  夜十一時図書館閉館                         寮に戻り、シャワーなど雑用に追われる                夜十二時に睡眠

人生で貴重な体験を積重ねて日々を過ごしていく事になると思います。  明日の良き日に乾杯!




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