「エッセイ」自分がHSPだと気付いた40代
勤労感謝の日の今日。
私も休みであった。
これまで祝日のない自動車業界が長かったせいか、祝日を忘れがちになる。
因みに自動車業界は祝日が無い代わりに夏休みなど長期休暇が長い。
自分がどうもHSPらしいということが判明する。
HSP、Highly Sensitive Person. 過敏な人とでも訳せるだろうか。
環境に敏感な人のことらしい。
強い光や音が苦手
それは誰でもそうではないだろうか。
昔の刑事ドラマで蛍光灯を犯人に突き当ててるシーンなんかあるよね。
ただ、私は音には人一倍敏感で、リモートワークの無かった時代、良く職場で耳栓を使用していた。
以前住んでいたアパートも隣人のケンカが良く聞こえてきたので、寝るときには耳栓や波の音などをサイレンサー代わりに使っていた。
他人の気分に左右される
はい、すごく。
特に怒りなどの負の感情は伝染しやすいものだけども、かなり敏感です。
指導係の先輩がイライラしてると、すんごい落ち込みます。
昔の職場で、「一日どう過ごせるか、結局コイツの気分次第なんだよなー」なんて思ったものであった。
強い刺激に圧倒されやすい
これもYES.
寝取られとかハッピーエンドじゃない作品は非常に苦手で、鑑賞した後に他の人はどう思っているのだろう、とすぐネットで検索する。
そして意外と共感が得られず、腑に落ちないまま、もんもんとして過ごすことが多い。
美術や音楽に深く感動する
これまたYES.
ここ8年ぐらいプレイした「艦これ」。
父方の祖父が海軍に居たこともあって、一番好きな音楽は未だに「飛龍の反撃」。
太平洋戦争開戦から半年たって行われたミッドウェー海戦。
大日本帝国海軍は当時有していた正規空母6隻のうち、4隻も一気に失うという大敗を喫した。
しかも失った空母は練度の高い第一航空戦隊、第二航空戦隊、通称一航戦、二航戦。最悪の大敗。
ミッドウェーで比較的近い場所に居たため、赤城、加賀、蒼龍は一度の攻撃で一気にやられてしまったが、飛龍だけは少し離れた場所にいたため、アメリカの攻撃を逃れた。
味方の船が炎上している。
日本の宝と言われた一航戦、二航戦が。
敵方に落とすはずだった爆弾が全て自分たちの腹の上で爆発してしまったためだ。
鉄が溶けるほどの大火災を起こして日本の宝が燃え落ちてゆく。
助けに行かなければ。
でも、もう目の前にアメリカの艦隊が迫っている。
僚艦が炎上する中、わずか一隻でアメリカ海軍太平洋艦隊に対して立ち向かう空母飛龍の姿を描いた音楽、「飛龍の反撃」。
ああ、書いていて泣きそうになる。
飛龍には飛龍の艦長の他に二航戦、第二航空戦隊の司令官であった山口多門海軍少将が乗っていた。
日本海軍きっての猛将と称され、アメリカからは連合艦隊司令長官であった山本五十六海軍大将に次いで、日本海軍で二番目に恐ろしいと言われた男。
その司令官自ら飛龍の乗組員たちを叱咤激励した。
「一航戦が炎上している。蒼龍ももう戦える状態ではない。このまま日本人をアメリカの奴隷にして良いのか。お前たちだけを逝かせはしない。自分も後から必ず逝く。今は死ぬ気で戦え」
結局飛龍は連続で30時間以上も戦い続けた。
対するはアメリカ海軍太平洋艦隊所属ヨークタウン級航空母艦3隻。
一番艦ヨークタウン。二番艦「英雄」エンタープライズ。三番艦ホーネット。
これに驚いたのはアメリカ側だ。
空母を3隻も叩いたと思ったら、残った一隻が逃げ出すどころか猛然と噛みついてきた。
3対1で攻撃しているというのに、まるで怯む様子もない。
戦闘が続く中、ついに一番艦ヨークタウンが大破させられ、「押されている。負けるかもしれない」と、アメリカ側が冷や汗を流し始めた頃、飛龍も力尽き、被弾してとうとう撃沈した。
「自分も後から逝く」と言って逃げ出した士官は多かったが、山口は本当に逝った。
いよいよ飛龍も沈む、となった時、士官を集め、
「貴様等、良く戦った。感謝に堪えない。かくなる上は脱出し、強い海軍を作るのだ」
若い士官たちもともに逝くことを望んだが、山口は許さなかった。アメリカとの戦争はまだ続く、と。
艦長、今日は良い月だ。月を見ながら一杯やろう。
それが山口の最後の言葉であったという記録がある。
なぜか、書いていて涙が止まらない。
ナチスドイツや大日本帝国のような国民を虐げる軍国主義など滅んで然るべきだ。
事実、敗戦となった際、これで軍人どもが威張り散らす時代が終わった、と密かに喜んだ市民は少なくなかったという。
だが、昭和天皇を始め、子や孫の為、と死ぬ気で戦った者は少なくない。
ああ、先々帝陛下。
戦後何度も退位を申し出られたが、誰も陛下の御意思を尊重することなく、御崩御のその時まで天皇であられた。
マッカーサーとの会談の後、普段は横柄でそのフランクすぎる態度が米軍内でも問題になることのあったダグラス・マッカーサーの態度が陛下を敬うものに変化していたという証言がある。
会談を終え、その場で別れるはずであったが、マッカーサーは陛下のお車を見送りに建物の外まで出て来た。
勝った国の最高司令官が負けた国の王様を見送った。歴史上もそう数多い話ではあるまい。
これは会談の中で、陛下がマッカーサーの心を打つようなお話しをされたのではないかと推察されるが、これは史実認定はされない。
なぜなら陛下は会談の内容について、マ元帥との男と男の、一対一の話し合いであったとして、生涯口外されることはなかったためだ。
(因みにマッカーサーはあちこちでべらべら喋っている)
雨の中、将兵が働いているのに、何故自分だけ天幕の中に居られるか
議会が承認したと言っても、予算は全て国民の血税である。針一本としても無駄にすることが無いように
(疎開を勧める側近に)わたくしは国民とともに東京で苦楽を分かち合いたい
(アメリカとの式典に際し)アメリカは勝ったんだし、金持ちなのだから服ぐらい作れば良い。私の国民は食うものにも困っている。とても服なんぞ新調する気になれない
(真夏に視察に行かなくとも、という側近に対し)東北の農業は夏が命だ
(台風が東京を過ぎ去った際)東北と北海道はまだこれからだ
(当時皇太子であった上皇陛下に)あまり高価すぎるものを与えるのは良くない。私の腕時計は国産だが、よく合うよ
(側室を勧める側近に)良宮(香淳皇后)で良い
胸を張って言える。
私の尊敬する方は昭和天皇です。
祖父の上司であり、おそらく日本史上最も優秀であった天皇陛下。
と、色々書いたが、私はHSPらしい。
4年程度で転職して人間関係を周期的にリセットしてしまうのも、そのせいかしら。
こらえ性がない、と自分でも思うが、そういうものだと諦め、それなりに生きていくしかないのかな。
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