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「絵のスタイル」について考えられるようになる時
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24・9・26
絵について
「絵のスタイル」について考えられるようになる時
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コーヒーを飲みながら記事を書くことが多いのでこの出だしはコーヒーネタが多めの可能性があるヒロです(出だし大事だよね)
最近仕事をしていて「描き方」について考えるようになってきました。
ここで言う描き方とは「絵のスタイル」に近いものだと思うのですが、自分自身でも意外なことだったのでそのことについての記事です。
描き方について考えられるようになる過程が「勝ち方」にも似てるかもなと思ったのですが、絵のスタイルがあるってことと、仕事が問題なく遂行できるって違うことだと思ったので、そういったことについて。
▼普通に描けるようになる → こだわれるようになる
前提として、僕が無意識のうちに思っていたことですが、仕事をしていると(たくさん絵を描いていると)「絵のスタイル」って自然と出てくるものだと思っていたふしがあります。
実際にカラースクリプトの仕事をしている時の絵は、最初は前に所属していたスタジオの絵のスタイル感が強かったのですが、徐々に自分なりの絵の雰囲気に変化してきたように思います。
ですが、最近の仕事で建物やプロップ(小物)の設定デザインをするのですが、それらの絵は納品物として、カラースクリプトと同じ「絵」というカテゴリーに属していたとしても、実際には「絵に載っている情報」が違います。
僕はライティングに関しては得意なのですが、物自体をデザインするのは苦手意識があります。ですが最近はデザインも以前よりはできるようになってきました。
つまり、デザイン系であれ「絵が普通に描けるようなってきた」。
これは「絵にのせるべき情報がどういうものであれば良いかわかるようになってきた」ということです。
ここで重要なのは「段階」があるのだと認識できたことです。
「絵が描ける」を「試合に勝てる」に置き換えるとわかりやすい気がするのですが、、、
まず優先されるのは絵が描ける、「試合に勝てる」ということです。
それは「仕事が遂行できる」ということであり、まずは試合に勝てないとトーナメントでは次に進めません。そこで終わり。
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