東北自転車紀行2024秋
day1 追憶の八幡平
いまから47年前の1977年の夏、僕は岩手県と秋田県をまたぐ八幡平アスピーテラインのピークに立っていた。
ランドナーと呼ばれる小旅行用の自転車で、上野から東北本線の特急で輪行し、8時間以上かけて盛岡に着いたと思う。
八幡平の麓の、冬はスキー客で賑わうであろう民宿で1泊し、翌日早朝に八幡平を登った記憶がある。
その当時は確か有料道路だったはずだが、はたして自転車が走ってよかったのかは覚えていない(料金所をそおっと通過したそうな気もする)。
このときは、「この道路は岩手県側は眺望がすばらしいが、秋田県側はそれほどでもない」という記事を何かの雑誌で読み、頂上まで登ってそのまま折り返しで帰って来たのだった。
当時17歳の僕は、いったいどんな思いでここまで来てここを登ったのか、あのとき行けなかったピークのその先にはどんな風景が広がっているのか。
追憶の彼方にあるかすかな想いを確かめたくて、またここにやってきた。
...と、ここまで抒情的に書いてみましたが、ちょっと疲れるので従来の文体に戻します(笑)。
盛岡駅から岩手山の北側を走る。のっけから雄大な風景に圧倒される。
八幡平アスピーテラインのスタートであるビジターセンターで軽く補給し、19kmの登り開始。いきなり勾配10%の登板が続く。
こんなにキツかったのか? まったく記憶が無い。
カーブを1つ超えるごとに、風景の色彩が鮮やかになっていくのが分かる。
御座所湿原という、地熱発電所があるあたりまで来ると周囲は紅葉のピーク。
しかしここまでで、まだ半分(あと半分もある...)。足が吊りそうになりながらも少しずつ前に進む。
『一歩踏み出せるならもう一歩も踏み出せる』(トッド・スキナー/フリークライマー)
すこしのアップダウンや、たくさんの10%坂を乗り越えて、ヨロヨロしながらなんとか山頂レストハウスに到着。予定よりだいぶ遅れて、もうすぐ15時。
到着したときは天気が良かったが、ちょっと休憩している間にあたり一面は乳白色の深い霧に覆われてしまった。
急いで長袖ジャージとウィンドブレーカーを着て、秋田県側へ下り始める。
霧が濃く周りはまったく見えないが、道の両側に木立がずっと続いているので、47年前の記事通り眺望は期待できないだろうなあ、と思いながら安全にゆっくりと下る。
しばらく標高を下げ、大きなヘアピンカーブを曲がると突然視界が晴れた。
その先に見えたのは、いままで経験したことのない極彩色の紅葉の林。
10kmくらいの間ずっとすごい風景が続き、過ぎ去ってしまうのがもったいなくて、自然とスピードが遅くなる。
だんだんグラデーションの緑が多くなってくると、夢の時間の終わりでもあるアスピーテラインの終点。
ここから、本日宿泊の鹿角市までは25kmくらい。ほぼ下り基調で順調に距離を稼ぎ、夕暮れ前には本日のお宿に到着。
day2 雨の縄文遺跡
天気予報どおりの雨。
大雨注意報と、おまけに雷注意報まで出ている。
予定のルートを大幅に変更して、最短距離で十和田湖を目指すことにする。
朝食を終え、出発直前になると雨が一段と強くなってきた。
やだなあ、走りたくないなあ、と出かかる言葉を殴り捨てて走り出す。
『前に進むためには何かを後ろに置いていかなければならない。運動の第三法則だ』 (映画/インターステラー)
途中、風も強烈に強くなってきて雷も鳴り始めたので、世界遺産である「大湯ストーンサークル」で雨宿り。
ここは約4000年前の縄文時代後期の遺跡で、2つのストーンサークル(環状列石)と2つの日時計、そこで発掘されたたくさんの遺物の展示がある。
雨がぜんぜん止まないうえにまだ時間もたっぷりあるので、ガイドツアーに参加し2時間かけてゆっくりと見学。ガイドさんの丁寧な説明がたいへん分かりやすく、当時のままの遺跡や発掘物など、とても見応えあり。
2つのストーンサークルと2つの日時計は一直線に並んでいて、その線が示している先は夏至の夕日が沈む方角とぴったりと一致する。
縄文人に時間の概念は無いので、日時計が差す夕日の方角で季節の変化を捉えていたらしい。そろそろ川魚が獲れるとか、木の芽が出てくるとか。
四大文明が生まれるずっと以前から、自然と共生しながらの定住生活で、1万年以上も平和が続いた時代は世界には無いですね。
縄文時代に思いを馳せながらゆったりとした時間を過ごさせていただきました。
しばらくして、風雨がすこし和らいだ合間を見計らって再出発。
今日の投宿地は十和田湖。十和田八幡平国立公園内に位置し、外輪山に囲まれた高地のカルデラ湖なので、当然そこまではずっと登り。
雨の中をスリップに注意しながら、ゆっくりと峠を登ると20kmほどで十和田湖が一望できる発荷峠に到着。ここまできてやっと雨が小降りになってきた。
寒いので記念写真もほどほどに、十和田湖へ下る。
ちょっと時間が早いけどチェックインできるかな?と思いながら、十和田湖の定宿であるゲストハウスに到着すると、同じ考えの国際色豊かな客がわんさか。
オーナーが不在で留守番のおばあちゃんが1人で受付をやっていて、お互い言葉が通じないため四苦八苦している様子。
たまらず間に入ってお手伝いをしたが、今度はおばあちゃんの津軽弁が聞き取れない。
英語、日本語、津軽弁の3か国語(?)で、なんとかチェックイン渋滞を緩和する。
夕食後にリビングで1人でぐだぐだ飲んでいたら、イングランドから来たという髭のおじさんに話しかけられた。
「ジテンシャ?」
「そう」
「アシタハ ドコ イク?」
「奥入瀬から、弘前を経由して青森市まで」
「オウ! オイラセ、ヒロサキ、イイネ!」
たぶんこんな会話をしたような気がする(笑)
そこにさらに、ドイツから来たという男と、アメリカから来たという男と、オーストラリアから来たという男が加わり(残念ながらみんな男のバックパッカー)、私が向かいの酒屋から買ってきた日本酒を呑みながら、なぜか花札が始まる。
スマホを見ながらルールを確認していたので、教えてあげました。
「シカトっていうスラングがあってね...」
「ピカイチっていうのは...」
「鹿肉はモミジ、猪肉はボタンだよ」
日本文化の理解に役立ったでしょうか。
そういえば、今日はお互い雨の中たいへんだったね、というような話をしていたら、オーストラリアの男が
「雨に濡れても大丈夫。僕は砂糖でできているわけじゃない」
というと、ドイツの男が
「その格言(?) ドイツにもあるよ」と。
小降りでもつい傘をさしてしまうのは、文化の違いなのでしょうか(わたしだけ?)。
day3 極寒の表八甲田
一夜明け、雨もすっかり上がったが気温が低い。
昨日は、保険でバックパックに突っ込んであった冬用グローブに助けられた。
今日もそのお世話になりそうだ。
早朝に宿を出て、まだ人もまばらな奥入瀬を下る。
一昨日の八幡平のような、極彩色の紅葉もいいのですが、緑の中にあるゆったりとした色の変化が好きです。
新緑の頃はあれだけ「緑がきれいだね」とか言われていたのに、半年も経たないうちに「なんだまだ緑なのか」と言われるのはあんまりだよね。
途中、写真を撮ったり、遊歩道を歩いたり、雨上がりのひんやりとした空気を感じながら奥入瀬を堪能する。
奥入瀬の入口まで一旦下り、ここから表八甲田の傘松峠までは16kmの登り返し。
このあたりは熊の出没によって入山規制が敷かれていたが、いまは解除になっていたので、途中の蔦沼や睡蓮沼に立ち寄り、緑から紅葉に変わりゆく森を歩く(クマ出ませんように...)。
ほどなくして到着した傘松峠は、寒風吹き荒む気温1度の場所だった。
たまらず冬用の手袋をはめ、ウィンドブレーカーの襟を頬まで引っ張り上げてすぐに峠を下る。
しばらく震えながら下っていたが、あまりの寒さに我慢できなくなって、酸ヶ湯温泉という有名な温泉場で一旦休憩。
ここでもまで降りてきても、まだ気温5℃。
温泉施設内の喫茶店に飛び込み、コーヒーを飲みながら体を温める。
いつまで休んでいても弘前にはたどり着けないので、一息ついたところで意を決して再出発。
ここから、城ヶ倉大橋を渡って弘前を目指す。
この橋もこれまた有名な絶景スポットなのだが、写真を撮ろうとしても寒さで手が震えてスマホが操作できないので早々に退散。
長いダウンヒルを終え、やっと弘前に着いたら気温は17℃。あちい。
手袋とウィンドブレーカーを脱いで、市内観光へ。
弘前は先の戦争で結果的に空襲を受けなかったため(青森は壊滅的だった)、明治・大正期のレトロ建築が数多く残っている。
洋館が多いのは、明治期に「学都弘前」として教育に力を入れたことで、多くの宣教師を外国人講師として招いたことが要因のひとつであるという。
時間が足りなくて、館内まで見られなかったのがちょっと残念。
弘前から青森市内までは40km。
ナイトランになりそうだったので、そそくさと輪行して奥羽本線で青森まで。もうちょっと早く出発していれば、明るいうちに青森市街までいけたんだけどねえ。
『あの時ああしてれば、とか、こうしてれば、とかいうのは、結局どっちを選んでいても同じような結果になるんだって』(終末のフール/伊坂幸太郎)
day4 ティファニーもりや食堂で朝食を
早朝の青森港を自転車で散歩。
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸のところにある、去年は壊れていたあるモノが復活した。その名も「津軽海峡冬景色歌謡碑」。
人感センサーの不具合だったらしく、押しボタン式にリニューアルされていた。
平日の朝7時前だが、さっそくボタンを押すと爆音のイントロが(笑)。
1番のサビまで聞いてその場を離れる(途中で終われればいいのに)。
さて朝ごはん。
宿泊先のホテルの朝食も捨てがたかったが、この日は前から狙っていた海沿いの食堂へ。
朝飯のために、青森市街から夏油半島の付け根にある浅虫温泉まで片道20kmを往復。
まあそれもまたよし。
まだ開店には時間があるので、海沿いの道にある公園で停まって陸奥湾を眺めたり、浅虫温泉の足湯に浸かったりしながら、これからの朝食のためにゆっくりとお腹を空かせる。
浅虫温泉を過ぎ、地図の指示通り幹線走路を外れて脇道に入る。
こんなところに食堂がある?っていう、ほぼ廃道といってもいいような道を進むと、ありました「もりや商店食堂」さん。
ウニイクラ丼が有名なのだけれど、10月はもうウニは旬外れなので、三種のホタテ定食を頂くことに。
これがまた超豪華!
海辺の私以外の客のいない食堂で、波の音だけがBGMの状況だといろいろ考え事をしてしまいそうだが、うまいものを食べるときは他になにも考えずひたすらうまいものに没頭するのが私の食べ方。
『何の為に生きているのとか、どこから来てどこへ行くのかなどという果てしない問いは、ごはんをまずくさせます』(粋に暮らす言葉/杉浦日向子)
大満足の朝食を終え、今回の旅は終了(ここから新青森駅まで戻ります)。
(完)
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