自称オタクに捧げる自称オタク卒業のススメ
貴方は結婚式やお葬式にTシャツ、ヨレヨレズボン、サンダルできた人を見たことがありますか?
もちろん、最初から「そういう」結婚式、お葬式もあるでしょう。式である以上、そういう「演出」もありえます。
ただ、結婚する人、亡くなった人に敬意を評するなら、場の雰囲気を乱さない格好をするのも社会のマナーです。
それが嫌なら列席しなければいい。
もちろん、普段家の中で何を着ようと、何なら何も来ていなかろうとそれは別に構いません。
Tシャツ、サンダルにこだわりがあるならそれはそれでいいですが、それで結婚式やお葬式、もしくは商談などに出席して、それによって周囲から否定的な評価をされてもそれはしょうがないんじゃない、としか思われないでしょう。
劣化オタクな人が言う「炎上」というのはそういうものです。
もちろん、それでもいいんじゃない?という人もいるでしょうが、一方でそれで友人関係を切られたり、商談がおじゃんになったりすることもあるでしょう。
「表現」に関しても、それでもいいと思う人もいるし、問題があると思う人もいる。
問題があると主う人が批判するのはそれは「炎上」でも「殴る」でも「凸」でもなく、極めて正当な「表現」です。
もちろん、脅迫などがあれば別ですが、それに相当するものはありましたか?僕の知る限りそれはないです。
そしてイベントなどの主催が対応を変えるのは、そういう世間の反応を見て、自社の評判などのためには対応を変えたほうがいいから変えているのであって、別に「フェミの横暴に屈した」わけじゃないです。
フェミニストにそんな力はありません。あれば森喜朗や張本勲あたりは10年前に引退です。
「スカートめくり」が修正されたのも、大阪のパルコで展示スペースの入り口にカーテンが掛けられたのも、アツギがキャンペーンを即刻打ち切ったのも、主催者側が問題点を見出したからです。
そこは理解したほうがいいですよ。
その問題点には顧客の尊重もあるでしょうし、社会的イメージもあるでしょうし、もっとダイレクトに経済的理由もあるでしょう。
もしそれが劣化オタクを主たるターゲットにするビジネスで、一般社会での評価をあまり気にしなくていいのなら、おそらく「フェミニスト」に批判されても対応は取らないでしょう。
あと、なんでもかんでも批判するのは「フェミニスト」という精髄反射もどうかと思いますよ。
アツギのときは「自分はフェミニストじゃないが」という女性からの批判も多かったですし、温泉むすめの八甲田山の問題などでは性別問わず地元の人からの疑問もありました。
ぶっちゃけ(もへもへくん風に)劣化オタクは社会性が低くて人の気持ちが読めないから劣化オタクなわけで、自分の認知をそこまで信用しないほうがいいですよ。
経験で補えるものか、生得的にそれが苦手なのかは人によって違うでしょうが、自分がオタクで、社会から阻害されていると思っている人は、あまり自分の感覚を素直に信じないで自分と異なる意見にも素直に耳を傾けたほうが現状脱却につながるでしょうし、もしかしたら友人やパートナーとともに歩める未来にもつながっていくかも知れません。
それから、フェミニストが「性的なものを忌避している」という考えも間違いです。
個別の事情までは知りませんが、一般論として女性は男性より自分の性的な関心をオープンにしないだけです。
経験的に言えば、男性の性的関心が結局は写生に帰結する極めて表層的なものであるのに対して、女性の方がよっぽど性を探求する際には貪欲だったりします。
ただしそれをよっぽど信頼できる人以外の周囲に簡単に見せないだけで。
いわゆる劣化オタクの言う「炎上」案件で「フェミニスト」たちが求めていることは性的なものの否定ではなく、それを公共空間に持ち出すな、というその一店につきます。
家の中で全裸でもパンイチでも好きな格好で過ごすのは個人の自由。
でも、それでコンビニに買い物に来るな、電車に乗るな、公園で遊ぶな、要は外出するなよっていう、そういうレベルの話です。
これは想像ですが、おそらく「フェミニスト」たちは僕が劣化オタクと読んでヒル人々よりパートナーが居る人の比率はかなり高いでしょうし、その上で彼らなりの性的な生活を満喫している人も多いと思いますよ。
僕自身、スカトロ以外はだいたいなんでも、というくらい経験はありますが、単にそれを公の場で垂れ流さないだけです。
つまり、どこまで行ってもこの問題は規制でも法制化でもなく、節度の問題です。
そして節度は安易は制度化、法制化を避けるためにも必要なものです。
映画やAV、ゲームの自主規制やレーティングと一緒です。
もし、そこで自主規制ができないクラスタだとみなされたら業界ごと潰されるか、ガチガチの制度・法律的な規制がかかってくるでしょう。
「フェミニスト」は法制化や制度化を求めていませんし、実際そういう運動を起こしているわけでもないです。
それは逆に言えば制度化法制化がなされると本当に権力に依る「表現規制」につながることを知っている人が多いからでしょう。
でも、それに対して劣化オタクは「法律なら従う」のようなもう極めて愚かなことを言っています。
どちらが本当に「表現の自由」を考えているのでしょうか?
もし貴方が僕が劣化オタクと呼ぶクラスタのメンバーだという自覚があり、その状況を抜け出したいと思うのなら、一度「フェミニスト」の言うことに謙虚に耳を傾けてみることをおすすめしますよ。
その方がパートナーやクラスタ外の友人ができて、より豊かな人生を送れる可能性が高まりますから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?